【年始め大発見!?】「酒を飲まないと自由を得る」という考え方は、人生全般に適用されるのだということに気づいてしまったのだった!

酒やめて、2894日

依存症って要は奴隷だから

一つ前のエントリで、「「自由」をモチベーションにすると上手くいく。断酒も蓄財も」といった話を書かせていただきました。この「自由」というものは本当に大いなるモチベーションになるもので、たとえば私の場合、タバコをやめたときもそうでした。

私がタバコをやめたのは子どもができたのがきっかけですが、それまではタバコを吸う俺はイケてるとか(高校生の発想だが、当時はタバコはF1の主要スポンサーだったのでそう思える社会情勢でもあった)、俺にはタバコを吸う自由があるなどと考えていたわけですよ。ところがやめざるを得ない状況にあたって、まあ都合よくではありますが、タバコを吸ってる人はタバコの奴隷みたいなことを何かの本だかネット上だかで読んで、これが非常にストンと腑に落ちまして、わりにすんなり禁煙というか断煙することができたのです。

こうした「奴隷」という発想は、当時はわりに新鮮で、それが禁煙原動力として決定的なものとなったことを、その時に生まれた子どもが結婚した今、思い出している次第であります。

むろん今はそのような考え方は依存症との絡みで常識化していますよね。タバコもそうだし、パチンコもそうだし、買い物もそうです。借金依存症などは典型で、私の知り合いにもいますが、利子というものを払うために働いている、まさに「奴隷」です。

むろん酒さんの場合もそうでして、依存対象としての酒の奴隷になっているといった側面があります。したがって俺って自由だあーと言いながら――いや、言葉に出すヤツはあんまりいないだろうから心の中で叫びながら酒を飲むという行為は、実は大いに矛盾しているということも以前書かせていただいております(参考「飲酒しつつ「生きていくのに精一杯」の矛盾」)。

でもってですね、酒をやめると、それは酒という、今まで自分を捉えて離さなかったものから離れるわけですから、本当の意味で「自由」になります。

子離れだって簡単だ!

そして大きいのは、この「自由」が人生すべてのことに適用できる点じゃないかなあ、とあらためて考える次第であります。繰り返しますが、酒というそれまで自分を非常に強く捕まえていたものから離れたのだから執着心というものがなくなる。なので、他のものからも自由になれる、という構造があると思います。

たとえば、一緒にしたらいかんかもしれないですが、冒頭に挙げた子どもですよね。私はやっぱり子離れできない親だったと思いますし、だから毒親化していた部分もありました。

で、子どもが結婚しまして、そろそろ子離れせんといかん、と考えるわけです。で、子離れというのは、なんとなく義務や我慢のような気もしますが、子どもから自由になると考えればいいんじゃないか、ということに思い至ります。酒飲んでないと、私のような愚か者でも、です。

もう子どもにも執着せずに自由になればいい。こういう境地ってある意味、断酒というものを経験したからこそ達することができる場所でして、これまた断酒er特権ではないかと、勝手に年の初めに考える次第であります。

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