酒に対する耐性ができているかどうかを意識することがやっぱり大事だよね、という話。

酒やめて、2756日

ジジイになると「ビール一缶で充分」になる!?

同窓会や、たまに友人と会って話したりすると、「いや、もう酒弱くなってビール一缶で充分。それも毎日は飲まない」みたいな話を聞きます。元アル中である私からすればびっくり仰天なのですが、そういう人間はわりにいます。

さらにびっくり仰天なのが、そういう人間とも20年くらい前までは一緒に飲みに行き、酒量も含め同じように飲んでいたことです。こいつ弱いなと思ったこともありません。

それがいつのまにか、アル中になり酒をやめなきゃならなくなった人間と、ビール一缶で充分という人間に「分化」しているのですよ。

よくアルコール依存症になるプロセスとして、毎日飲んでいるうちに耐性ができ、そして酔わないものだから酒量が増え酒を渇望するようになる、という説明がなされます。一度耐性ができてしまえば、砂が水を吸い込むように飲むようになってしまい、アル依、アル中になるということですよね。逆に「今はビール一缶で充分、それで眠くなってしまう」といった人は耐性ができずにここまで来た、ということで、ある意味「勝ち逃げ」です。繰り返しますが、若いうちは同じように飲んでいても、です。

また「俺は焼酎二杯(それでも多いのだが)しか飲まない」ということを平素、自慢(?)している人間が実際にいますが、友人の話によると、〇〇さんさあ、おごりだと結構飲むんだよねーになったりもします。つまりその〇〇さんの場合、貧困が酒の抑止力になっているのですが、そうであっても、またもともと酒に弱くてすぐ赤くなってしまうような人でも、酒に精神のやすらぎを求めているとだんだん耐性ができてくると思われます。

酒との付き合い方は、結局三択!?

で、耐性ができるできないは、どこで「分化」するかということが問題です。

繰り返しますが「一缶で充分」の友人にしたところで、昔、テニスでダブルスを組んでいたので、試合が終わった後などは二人で反省会しつつ痛飲していました(参考「刹那的に生きたい人と、長生きしたい人たちと」)。なのに今は、完全に「分化」しています。これは個人差としかいいようがないし、あるいは「環境」も大きいでしょう。

ともあれ齢を重ねると、酒との関わり方は以下のようになるのではないでしょうか。

① 耐性ができず「一缶で充分」になる。すなわち、酒から逃げ切れる。

②-a 耐性ができて酒量が増えたあげくアル依、アル中、あるいはそれに近い状態になり、酒をやめざるを得なくなる。

②-b 耐性ができて酒量が増えたあげくアル依、アル中、あるいはそれに近い状態になるが酒をやめず、だんだん人生詰んでいく。

いや、もちろん②-bでも「人生詰まない」人もいるでしょうし、少し上の世代まではそういう人がむしろメジャーでした。「アル中になる自由があった」わけですよね。でもそういう層は今、どんどんシュリンクしているし、また以前も書かせていただきましたが、毎日、ある程度の量を飲まずにいられない人は、たとえ経済的に老後安泰であっても、老人ホームに入居する際に問題になるし、むろん認知症リスクも高くなる。

ということはやっぱり上記三択なのですよ。

そして自分が酒との付き合い方において①、すなわち軟着陸できるかどうかを考える、どこで「分化」するのか意識しながら飲むことも重要であると思われます。これはぜひ、うちの娘(とその夫)にも教えておきたい。余計なお世話ながら。

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