「試験の前の平等」はなくなりつつある。そして「酒の前の平等」はすでにない。

酒やめて、1083日。

大学センター試験が終わりました。これが最後の「センター試験」で、ご存じの通り、来年からは大学入学共通テストというモデルチェンジ版になります。そしてこの共通テストに関しては、英語の4技能(読む、聴く、話す、書く)をみる民間試験導入が見送りになったこと、記述式問題の出題を撤回したことで、改革二本柱が崩れたと言われています。

「平等」「公平」じゃないのが入試のグローバルスタンダードです

でもこれって、そもそもおかしいんですよね。その原因はといえば、民間試験導入の見送りについては荻生田大臣の「身の丈」発言だったり、記述式問題の撤回は「採点ミスをなくすには限界がある」だったりしています。試験における「平等」「公平」に反する、というわけです。

確かに今までの日本には、「試験の前の平等」みたいなものがあり、誰でも試験で良い点を取りさえすれば東大に入れました。それは日本のものすごく良いところだったと思います。でももうそういう試験のやり方で輩出された人材だと世界に通用しない。AI時代も生きていけない。だからこれからの世界や社会を生き抜いていける人材をつくるために、試験をモデルチェンジしようというわけですよね。ざっくり言えば。

つまり世界標準に近い入試を行おう、と。で、世界標準がどんなもんかというと、試験の前の平等なんてないんですよ。記述式問題にしても、一人の採点者が、もちろん基準はあるけれどもある程度恣意的に採点するのは当たり前で、それを是としているのです。そうした世界標準に近づけようとする新しい大学入試について、日本の従来の価値観を尺度に判断するのがそもそもおかしいというのが私の考えであります。私の意見なんて誰も聞いちゃいないですけど(笑)。

自分の「身の丈」を考えて、酒とつきあう時代じゃないの?

さて、酒問題です。酒にしてもですね、もうみんなが平等に飲める時代じゃないんですね。「酒の前の平等」はありません。ストロングゼロなどの存在もあって、誰もがローコストで酔える時代だから一見「平等」のようだけれども、そうじゃないんです。

以前も書かせていただきましたが、アル中になる自由がある人とない人がいる(参考「僕らにはもう「アル中になる自由」がない」)。自由がある人というのは、まあ言ってみれば、先々人生の見込みが立ってる人です。もちろん子どもも自立して、年金もしっかり三階部分まで充実してる人でしょ。当然、資産もそれなりにあるでしょう。でも実はそういう人ほど、酒は控えめにしているんじゃないですかねー。なによりそういう人は今、少数派になりつつあるし、世代が下がるほどその層はどんどん縮小していくでしょう。

もはや「酒の前の平等」は日本では考えられません。だったらその状況に「身の丈」を合わす必要があります。私の場合の「身の丈」は酒を飲まないってことです。

でもねー、周囲を見回すと、我々の世代では、飲んでる場合じゃない「身の丈」の人ほど、飲んでいる感じがしますねー。そういう人を反面教師に、若い人はちゃんと考えたほうがいいと思いますよ。

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