酒やめて、2834日
飲酒はもっとも手軽な「趣味」!?
飲酒時代の私は、よくこんなふうに言っていました。
いやいやいや、ほんとに酒飲むしか楽しみがないんですよ。
言われた相手は、よく知らない人なら、そんなこともないでしょうみたいな雰囲気で受けとめてくれるのですが、よく知っている人はまったくその通りだと思っていたでしょう。
で、怖ろしいことに「酒イコール趣味」として成立すると考えていたのですね。そう規定すると、飲酒は、最も手軽な快楽であります。
酒を飲む習慣があると、生活がパリピ指向になり、その結果、経済的に苦境に陥りがちという話もいつもさせていただいておりますが、単に酒を飲む、そこだけにフォーカスすれば、経済的にも手軽ではあります。
手軽、という点では、何の準備も必要もない、何の根回しも必要のない。たとえば他のドーパミンを出してくれる趣味、サーフィンでも登山でもいいですけれども、そうしたことってその場その場の準備もそうですが、何よりもそれができるように生活を構築するという準備(その一環として断酒があるのですが)が大変だったりするのと対照的です。
「お金がない=頭が悪い」の意味するところは?
さて、もう一つ非常に手軽な「趣味」があります。それは他者を貶めることです。大きな特性は、一円も要らないということです。
なぜそんな話をするかというと、友人から『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』という本を、ブログネタになるんじゃね、と薦められたからです。買ったわけではないのですが、ネット上にも要約記事がアップされていたので読んでみました。そこに「「お金がない」ときに人は頭が悪くなる」として、以下にような一節がありました。
お金がない人は、ときにおかしな行動をとる。
スクラッチくじや宝くじを買ったり、貯金をしなかったり、大きな借金をしたり。
残念ながら、それは習慣になり、結果としてさらにお金がなくなる。
とはいえ、「貧しい人がこうした選択をしてしまうのは、教育や社会環境のせいだけではなく、生まれ持った性格のせいだ」と容易に考えてはいけない。それは大きな誤解だ。貧困とは誤った選択の結果ではなく、むしろ原因なのである。
このことは、その友人と共通のとある知人を「補助線」にするとわかりやすいと思ったのです。個人的事情ながら。
その知人は、周囲の人間、あるいは仕事上で付き合いのある一般にも知られた有名人(?)なども含め、とにかく「こき下ろす」ことが大好きであり、元々そういう性格だったのでしょうけれども、もはやそれしか楽しみがないという状態に陥っています。というのは、知人はいつも「お金がない」と言っているからです。
なるほどな、あの人は金がないから他に楽しみを見つけることができず、それしか楽しみがないんだな、というふうに、こちらとしては納得するのです。
そして、先の記事の「頭が悪い」という観点から見れば、それはIQ的な頭の悪さではなく生活マネジメント能力の欠如です。
他者を貶めると――私も貶められている標的の一人ですが、私のような影響力のない人間ならともかく、周囲の直接利害関係のある人間を、その人がいないところでこき下ろしていると、むろんそれは伝わってしまいますから、巡り巡って仕事にも反映され、自分の人生をどんどん追い込んでいきます。まさに生活マネジメント欠如=「頭が悪い」です。他者の悪口はもっともお金がかからないレジャーかもしれませんが、人生という観点で考えると、もっともお金を失うことにつながりやすい行為です。しかし、お金がないと、そんな当たり前のことさえわからなくなってしまうのです。怖い怖い。そして追い込まれたことによって生まれた「お金がない」が、さらにそのような行動に走らせるという暗黒のスパイラルが起きます。
で、そこで、飲酒も同じだよなあと思ったりもするのですよ。「手軽」であるがゆえに手を出しやすく、一時的なドーパミンが出たりして快感が得られるけれども、それが、どんどん人生を追い込む。ましてや飲酒と他者の悪口は非常に親和性が高いのでコンボで人生を詰みに導いていく。
結局のところ、飲酒も生活マネジメント欠如という観点からとらえられるのだなあと考えたりします。
飲酒も他者を貶めることも、それしか楽しみがなくなるという点で、「奴隷の快楽」と言えるのかもしれません。
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