酒やめて、1522日。
思いがかなわないと不幸になってしまう!?
以前、「酒やめて幸せになるかどうかはわからないけど、人生、快適になるのは間違いないです」といった話を書かせていただきました。そうなんですよ、酒をやめると人生は超絶快適になります。これをもうちょっと深掘りすれば、幸せというものを追求しないから快適になる、というふうにも言えるかもしれません。
もちろんこれは私個人の実感であり、快適なこと=幸せと感じる人もいるでしょう。でもおうおうにして「幸せ」と「快適」はバッティングするのです。いや、そういうと語弊がありますね。「幸せの追求」と「快適」はバッティングします。
幸せというものは、思いがかなうということと密接に結びついています。思いがかなうとは、たとえば恋愛年代ならば、好きな人に振り向いてもらうといったことかもしれませんし、あるいは親年代ならば子どもが有名私立中学に合格するみたいなことかもしれません。
で、そういうことが上手くいかないと、たちどころに不幸になってしまうのが、この手の「幸せの追求」のウイークポイント(?)ではあります。
そして、こういうことって結局は他者との関係における執着です。好きな人に対しても自分の子どもに対しても。でも、他人に期待することがそもそも無理スジというものです(参考「他人に期待するな。でも自分には期待しろ」)。それは「執着」ですよね。ついでにいえば、自分が他者を幸せにできると思うことも無理スジです。
四苦八苦からの解脱。その一番簡単な方法とは!?
いつもながらの、酒をやめれば、という話になりますけれども、まあ断酒ブログなので許していただくとして、酒をやめれば、この執着心が本当になくなるということはこのブログでも書き連ねてきた通りです。
というのも考えてみれば当たり前で、断酒すれば、酒という最大の執着の対象がなくなるのですよ。そうすると、その他のものに対する執着心も消えます。
お釈迦様だって、すべての苦しみ(=四苦八苦)は執着から生じると説いてますもんね。で、執着心を捨てれば四苦八苦の輪廻から解脱できるわけです。て、仏教の教えをこんなに乱暴に言っていいかどうかはしらんけれど、まあそういうことです。断酒はもしかしたら執着心を捨てるための一番簡単な方法かもしれません。
でもってそういう心持ちで生きると、ものすごーく快適なわけです。もちろん、そんな状態を「幸せ」と感じることもできるでしょう。
そしてそうしたことが人生における自分のテーマになります。すべてにおいて快適を指向するようになります。お金の使い方なども「快楽」を求めたり「見栄」を張るためではなく、いかに身の回りからストレス起因のものを取り除くか、ということがターゲット(?)になったりしています。
とまあ小難しくて、自分でもちゃんと理論立っているのかどうかわからんことを書いてきましたが、要は、酒やめると「幸せ」に対する執着がなくなり、それはとても「快適」だってことです。断酒の入り口で立ち止まっている方に対しては、まあやってみ、と言うしかありません。