酒やめて、3148日
自覚していれば認知症じゃない!?
ちょっと前ですが、タモリさんが認知症の兆候を自覚していると発言して話題になりました(参照「タモリ 認知症の前兆「全部ある」と告白「切れ味悪くなった」視聴者が指摘する“異変”」)。そしてネット上では、「自覚があるなら大丈夫」といった意見が多く見られました。これについて思うところがあるので、誰にも頼まれていませんが、ちょっと記してみたいと思います。
まず、ですね。うちの父などは認知症と診断されていますが「自覚」はあります。「いろんなことがわからなくなってしまった」といったことをよく言っていますし、また、それを少しでも食い止めるための、たとえば学習療法などに積極的に取り組む姿勢を見せています。
なので、認知症と自覚しないというか、自分が認知症であるというのを認めたがらないのは、初期段階と言うこともできるでしょう。
でもって、これが何かに似ているかといえば、そう、アルコール依存症ですよね。よく指摘され、今さら言うまでもないのですが、アル中は「否認の病気」であり、そして「俺はアル中じゃない( ー`дー´)キリッ」とアピールする人間が世の中には溢れかえっています。
実はこれは、昔の私のような重度のアル中にも責任(?)がありまして、つまりそういう人間がいると、あいつと俺は違うというふうになりがちなのですね。実際、お前(=私のこと)はアル中だけど俺は違う(だから飲める)ということを、やたらアピールしている酒飲みもいます。
「アル中」「認知症」と認めるわけにはいかない理由
さて、それでは、そのような「否認」に何が関わってくるかというと、社会と個人の関係です。アル中にしても認知症にしても、「そうなっている場合じゃない」という状況が、否認せしめるという構造があると思われます。
「一生働け」の世の中で、認知症だったりアル中だったりすると、働くにあたってはヒジョーに不都合なわけですよ。当然ながら。でも働かなきゃならんとなると、それを認めるわけにはいかんのです。
だから今、アル中にしても認知症の初期にしても、否認する、というか、否認せざるを得ない人も非常に増えているといると思います。
そして何よりも恐ろしいのは、この認知症とアル中、あるいはアルコール摂取は非常に密接な関係を持っているという点です。
この辺もいつも書かせていただいていますが、飲酒は認知症のトリガーになり、それを進行させます。これは父をみてくれている脳関係の医師が口を揃えるところであります。Google先生は素人が医学的なことを書くのはNGとしていますが、しかし複数の玄人が言っていてそれを聞いた経験に基づくことなのでよかろうもんと勝手に判断します。
つまり、アル中を促すアルコールと、認知症を含む脳の劣化は、手に手を取ってやってくるというわけですわ。
で、言いたいのは、アル中になる自由がないのと同様に認知症になる自由もないのですよ。今の世の中というところのものは。
いや、楽隠居可能世代や楽隠居できる人はいいけど、前述のようにそうじゃない人が増えている。なのでやっぱり、自分はどっちかという判断が必要になりますよねー。
そして性格悪い視点で私の周囲を見るにつけ、「そうじゃない」人ほど「俺は飲める( ー`дー´)キリッ」である傾向があります。むろんこれには理由があって、酒の場合、人生がハードモードであるほど飲みたくなるからです。
とまあ、そういうところの「圏外」にいることができて、人生ハードモードであろうがなかろうが、自分にできることを淡々にして坦々とできるのもまた断酒er特権であると考える次第であります。
原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。