
今の日本は「酒レス・ミニマムライフで将来に備える」を実践するにあたって、絶好の社会環境かもしれないね、という話。
酒やめて1874日。ちょっと前に「酒レスのミニマムライフをシミュレーションしてみる」という話を書かせていただきました。これに対する反論(?)として、そーはゆーても、しゃかりきに働いても貧しい人は実在しとるしー、というものがあると考えます。
断酒して1000日。これからも続けていくために「酒やめてよかった」こと、「酒飲んで後悔している」ことを、ひたすら書きつづります。
酒やめて1874日。ちょっと前に「酒レスのミニマムライフをシミュレーションしてみる」という話を書かせていただきました。これに対する反論(?)として、そーはゆーても、しゃかりきに働いても貧しい人は実在しとるしー、というものがあると考えます。
酒やめて1872日。今年で86歳になるうちの父などを見ていますと、やっぱり酒量は増えましたね。下手すりゃ昼から飲んでいます。友人の父上でもそういう方は多いです。うちの父の場合、2年前に連れ合いをなくしており、やっぱり寂しさというのもあるでしょう。
酒やめて1870日。ちょっと前に「酒レスのミニマムライフをシミュレーションしてみる」といったテーマで書かせていただきました。ゆる~くワークし、余った時間で将来に備える、そのためには生活をミニマムにする必要があり、むろん酒も飲まないことが条件になる、ということですよね。
酒やめて1868日。「明日考えよう」とは、映画『風とともに去りぬ』のスカーレット・オハラのセリフで、スカーレットの性格を象徴するものとして有名であり、それゆえにこの映画のアイコン的セリフにもなっています。
酒やめて1866日。ちょっと前に「「労働」が変容している今、酒との付き合い方が変わるのは当たり前だよねという話」という話を書かせていただきました。結局のところ、組織にディベンドすることなく自分の将来は自分で備えなければならない時代にあっては、自分の時間とエネルギーが労働によって毀損されるのが一番怖いわけですよね。
酒やめて1864日。先日、父の付き添いで医院→薬局と回わったのですが、薬局で待っている間にいろいろドキリとする案内が耳に入ってくるんですよ。「〇〇さ~ん、注射器4本出しときますから~」だとか「お会計は7千と〇〇円なります」だとか。
酒やめて1862日。一昨日、「人類はいよいよ、社会構造的にも酒と訣別しようとしているのか」という話を書かせていただきました。私にしては大それたテーマを取り上げたので、かなり舌足らずな部分もあり、ですから本日も深堀りというか続きというか、別角度から検証(?)してみたいと思います。
酒やめて1860日。確定申告してみて、いやいやいやいや収入の少なさにびっくりしましたよ。コロナ禍を背景に、それだけ仕事が減っているということですね。いやいやいやいやコロナのせいにしちゃいかんですな。自分の力のなさ、あるいは加齢による部分も大きいでしょう。
酒やめて1858日。ここのところずっと、酒のマッチポンプ力の恐ろしさについて書かせていただきますけれども、これはマジ実感であります。しつこいようですが酒は意思を持っているかのように、自分に都合のいいように人間を造りかえていきます。
酒やめて1856日。一昨日、「「飲酒習慣→汚部屋」が象徴する、酒の本当の恐ろしさとは」という記事を書かせていただきましたが、この「片付けられネーゼ」問題を、もうちょっと深掘りしてみたいと思います。