酒やめて、2472日
当初、断酒は「時限」のつもりだったのですが
一昨日、「人生やりたい放題モードに突入したときに、酒をやめていることのありがたさよ」という話を書かせていただきました。子どもも自立し、親も老人ホームに入り、おまけに酒やめて自分の生活がミニマムなっているのでやりたいことができるということです。自分の人生にこんな日々が訪れるとは、まったく思いもよりませんでしたよ。
そして感慨深いのはタイトル通りで、その「やりたい放題」が飲酒じゃなくてほんとに良かったです。
というのは、酒やめたばかりのときは、決してそんなふうに思ってはいなかったからです。
酒やめた頃はまだ子どもも大学に行っていましたし、私自身も仕事場を借りていたりで、何かとお金がかかってました。そして仕事の信用も失いかけているような状態だったので、生活の立て直しが必要だと考えたのも酒やめた理由の一つでした。直接のきっかけはアルコール性低血糖で倒れたからですが。
それを機会にいろいろ考えたのですね。もしかして人生で一番いろいろ考えたかもしれません。その集大成(?)がこのブログなわけで(宣伝w)。
それはともかく、酒やめた時点では酒飲むことに未練タラタラなので、とりあえず、この先、たとえば学費負担などの「責任」がなくなったら再飲酒しようと計画(?)していました。つまり、断酒は時限でした。
そして今、実際に自分の人生において「責任」といったようなものがなくなり、自分一人のためだけに生きることができるようになって、じゃあ酒を飲もうか、というふうにはなりません。酒飲むよりもしたいこと――私の場合、サーフィンですが――があるからです。
と、長々と自分語りで申し訳ありません。
「〇〇するのになあ」にはなりたくないのだ!
自分語りじゃない他人語りをすれば、私の周りには、「俺に金と暇があればなあ〇〇するのになあ」と年がら年中言っている人がいます。酒飲みながら。
ただ余計なお世話なことを申しあげれば、酒を飲むような生活していると、一生、暇と金があるという状態が訪れないと思いますよ。
むろんお金=経済力については人それぞれで、飲んでいるけど金もあるという人もたくさんいるでしょう。が、「暇」については、飲酒は誰からも平等に、そして徹底的に時間を奪っていきます。
だから以前も書きましたが、飲酒生活が深度化(?)すると、やりたいこと、できることが飲酒の一択になり、そこから抜け出せない。もちろんそれでいいという人もいるでしょうし、私もそう思っていました。昭和のお父さんなんて、まさにそのパターンだったでしょう。
ただし今、「そのとき」を迎えてみて、もし飲酒習慣があったら、先に挙げた人みたいに年中「〇〇するのになあ」と、悔恨とともに胸を焦がしていたでしょうね。私の場合、その「〇〇」がサーフィンである可能性が高く、過ぎ去ったサーフィンとともにあった青春(て、そんないいもんじゃないが)に思いを馳せていただろうと思うと、それは非常に悔しいことだっただろうな、と。
というわけで、自分語りに戻って申し訳ありませんが、やりたい放題モードに突入したときにやりたいことが飲酒ではなかった、その幸せを今、噛み締めている次第でございます。
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