「わしがわしを認める@万太郎」の一番簡単な方法。

酒やめて、2324日

断酒は自分を認めるにたる行為です

先日、実家で朝ドラの『らんまん』を観ておりましたら、神木隆之介扮する主人公の槙野万太郎が、後に奥様となる女性(浜辺美波演)に求婚するにあたって「わしがわしを認めたら」という印象的なセリフを発していました。かっこいいす、神木きゅん(とモデルになった牧野富太郎博士)。ちなみに「神木きゅん」は、かつての朝ドラ『どんど晴れ』にヒロインの弟役で出演していた少年時代の神木隆之介くんがあまりにも可愛くて、日本中がきゅんきゅんしたことが「発祥」らしいです。

それはともかく、「わしがわしを認めたら」は、断酒erとしては非常によくわかるんですよ。いや、偉大な牧野博士と一緒にしたらいかんですが、でもわかるものはわかるんだからしょうがなかろうもん。

というのも以前も書いていますが、私の場合ですと、人生において成功体験があまりにも少なすぎて……というか皆無だったので、「断酒した」「断酒を続けている」が生まれてはじめての成功体験といってもよく「わしがわしを認める」にたることだったのですね。

私の場合は極端ではありますが、これはある程度、断酒をしている方の多くに通じるものではないかと思います。

内なる承認要求ともおさらばできるのだ

自分を自分で認めるということを発展(?)させれば、他者の承認など要らん( -`д-´)キリッとなり、内なるうざい承認要求ともおさらばできる。案外、これって大きなことではないかと思うのです。

またぞろ同窓会話で恐縮ですが、ジジババになって、飲む人と飲まない人が分化しているのと同じように(参考「余計なお世話ながら、飲酒者の「着地点」を考えてみまして」)、承認要求が課題になっている人間とそうでない人間も、ある意味、二極化しているなと感じたのですね。

承認要求が過大な人間は、とにかく自分が話の中心になりたがるので、一年に一度のことなのに他者の時間を奪って迷惑です。まあ悪い人間ではないのでそれなりに楽しいっちゃ楽しいのですけど、ただ、いい齢ぶっこいて承認要求を満たすために殊さらに自己アピールしてくるというのもみっともないちゃみっともないことです。というか、みっともない自己アピールをするようになっていること自体が、脳がジジババ化していることなのでしょう(悲)。

人からどう思われるはともかくとして、認めてもらわないと満たされないという思いは、自分にとって厄介なものであり、そんなものはないに越したことはない(参考「すべての不幸は承認要求から始まる。でもって酒やめると、他者の承認なんて必要なくなるから不思議です」)。

そうしたところに持ってきて、「わしがわしを認める」ができれば、なんというか他者に対する承認要求からも解放されるのですね。

でもって、その「認める」にはハードルの高さが必要で、それを乗り越えることのできるのは牧野博士などの偉人の特権のようにも思えますが、こと「断酒」なら、私のような凡庸(以下)の人間でも、いや、それまでの成功体験が少ない人間であればあるほど「わしがわしを認める」に到達しやすい。これって生き方としてかなりおトク度が高い。したがって断酒はおトク度が高い行為とあいなります。

ま、断酒者理屈ではありますが。でも少なくとも植物図鑑つくるよりよほど簡単です。

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