酒やめて、2310日。
酒やめると、執着心が消える!
ちょっと前に「人生において「イベント」は必要なのだろうかと考えてしまった断酒erなのでありました」といった話を書かせていただきました。酒をやめると精神が変容してきて、その精神の変容が断酒を続けるモチベーションというか原動力になってくれることは、すべての断酒erに共通したことではないでしょうか。
その辺のことをエラソーに分析させていただければ、タイトル名になります。
まず酒をやめると執着心が消えます。酒というマックス執着していた対象がなくなるので、そうなるのだと思います。
これは、美味しいものが食べたいといったような物理的な執着心が消えることから始まって、私の個人的事情も絡んできますけれども、一軒家に住んで子どもを私立中高一貫校に入れてラルフローレン着せてゴールデンレトリバーを飼って大型RV車でお出かけ、みたいな俗な執着もなくなります。
こういうことって、要はメディア(トレンディドラマなど)によって煽られていたということもわかってきます(今さら)。
そして、心を虚しくすることに裏付けられた自分軸の確立が、こうした煽りを馬鹿馬鹿しく思わせてくれたりもします。酒をやめると、そういうふうに精神が変容してくるのです。
「自分バージョンアップ」には理由があるのだ
たとえば再飲酒した際の「やっちゃいましたてへぺろ(また断酒始めます)」も「心を虚しくする」の一環です。
では、その逆にあるものといえば、やはり理論武装による自己正当化ですよね。「(お前と違って)俺は飲んでもいい人間だ( -`д-´)キリッ」などとアピールする輩もいて、傲慢と言ってしまえばそれまでなんですけれども、これが酒さんによる人格の魔改造であることはいつも書かせていただいている通りです。
と、エラソーに書き連ねてきて大変申し訳ないのですが、そうした「頑な気持ち」が酒によってつくられているものだということを意識すれば、逆に虚しくなれると思うのですね。「いいんだいいんだいいんだそんなもんで」であります。
そして実はここからが言いたいのですが(前振り長い)、その頑な気持ちというのは、断酒に関して言えば、酒やめなければという「強い意志」と表裏一体であり、そこをつきつめれば、私のような子どもの頃から「意志が弱い」と言われ続けてきたような人間のほうが、逆に断酒に向いていると言えるかもしれません。
それが、アル中→断酒大先輩小田嶋隆さんのいうところの「生活のつくりかえ」にもなってきますし、そこには「心を虚しく」が大前提にあるような気がします。少なくとも私的には。
でもって、その心虚しくの精神=「いいんだいいんだそんなもんで」が自分軸の確率にもつながり、自分2.0に導いてくれるのではないかと。
とまあ、理屈ぽいことを書き連ねて申し訳ありませんが、酒やめると自分をバージョンアップできることにはちゃんと理由があったということを言いたいのでありました。
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