酒に溺れると、破滅に至るまでの「前段階」があるからむしろ怖いんですよという話。

酒やめて、2214日。

「たかり酒」はウインウイン!?

ずいぶん前ですが「遠い昔、酒で教壇を去った先生のこと」といった話を書かせていただきました。そのなかで、私の中学の担任が、夜になると当時の我が家の近所までやって来て、うちの父を酒に誘うようになっていたというエピソード(?)を記しました。要は父に酒をたかってたわけですね。このようなことは、昭和あるあるでもあり、父も別に嫌がることなく、むしろ歓迎していた節さえあります。

なぜ再びそのことを取り上げたかというと、昨今、似たような話を某所で聞いたからです。某所、というのは、仕事で絡んでいる会社ですが、そこにとあるフリーランスの人間が夕方になると来て、なんとなく酒を飲ませろみたいな雰囲気になるとのことです。

ただし、別にそこの会社の方も、歓迎かどうかは分かりませんけれども、困るんだよねーという雰囲気でもなかったので、飲ませるメリット(情報やノウハウ提供してもらう?)もあるでしょうし、ウインウインといえばそうなのかもしれません。

だから私のような者がなにを申し上げることもないのですが、ただ若干、考えるところもあるので以下書かせていただきます。

いわゆるたかり酒については以前も取り上げており、まあそのようなことをする人間がいるのもまた断酒継続のモチベーション(?)になっていることも事実です(参考「反面教師の存在が、断酒と断酒継続にかなりのインパクトを持つという話」)。

私も相当なアル中でしたけれども、人に酒をたかるという発想はなかった……というか、そうした気力さえなかったというのが実際のところです。考えてみれば、誰かにたかってタダ酒飲もうと画策すると相当にエネルギー使いますよ。ただし、昔勤務していた会社に「なんか仕事ないすかねえ」みたいな雑な営業をしに行って、外に連れ出され一杯飲まされてていよく追い払われた……みたいな経験はあります。超絶、情けないです。

そうなんですよ、たかり酒はアル中的行為のなかでも情けなさ、卑しさみたいなものが半端なく、一線超えた感もあります。

やっぱり酒は徐々に社会的生命を殺しますよ

ただし一方で、冒頭で述べたように、たかられるほうも「受け入れやすい」部分はあるかもしれません。むろん状況や関係性にもよるのでしょうが。そしてかえすがえす余計なお世話ながら語らせていただくと、これってねー、酒にまつわる依存(プチ依存も含めて)の持つ独特の怖さだと思うんですよ。

というのは、その他の中毒というか依存は、それがギャンブルであれ買い物であれセックスであれ、依存が深まることに伴うウインウインの関係は、まったく想像できないですよね。酒に対する依存だけにあることです。

でも、いつまでもウインウインであるはずもなく、ゆっくりと人間関係を壊していく。そしてこれが怖ろしいのですが、その「ゆっくり」のなかで、あの人ってそうだよね、という評価が固まっていく。

それまでいかに誇りを持って生きていたとしても、たかり酒に代表されるアルコール依存独自の、ある種の「アロアランス」が徐々に人間を情けなく卑しくしてしまう。それがだんだんと周囲に浸透していく。時間をかけてそうなるからこそ確固とした評価として定着するのが、やはり怖いところであり、この「ゆるやかな死」の存在をもって自分を戒めたいのでありますよ。

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