酒やめて、1838日。
「健康のために酒やめる」に漂うダサい感!?
酒やめて5年が過ぎたわけですが、まあよく言われます。やっぱり健康考えてなんだ、みたいなこと。でも私的には、それははなはだ不本意なんですよ。健康のために酒やめましたってのは、なんだかダサすぎるじゃないですか。いや、普通の人はそんなふうには思わないでしょう。ただ、人生の大部分を酒とともに過ごし、無頼気取り自由人気取りで生きてきた身としては非常に恥ずかしいわけですね。だってそれまでは、俺なんかいつ死んでもいいんだ、という態でしたから。
飲酒時代も、健康のためにお酒は控えめにしたらみたいなことを言われていましたが、馬鹿言ってんじゃねーよ、でした。飲酒の民にとって「健康のために」は、これっぽっちも説得力を持たないのです。
では、「死なないために(酒やめたら)」はどうでしょうか。生物学的に死なないため、というのも、さほどの説得力&影響力を持つとは思いません。私などもアルコール性低血糖で死にかけたのですが、死ぬ思いしたからやめられたんじゃねーの、といった指摘をされると、やっぱり不本意です。だってなんか死ぬのを怖がってるみたいじゃないですか。いや、怖いんですよ。なにしろ死にかけたときは、死ぬのは嫌です助けてくださいお願いしますと、身もふたもなく思いましたし(参考「高血糖はじわじわと身体を蝕むが、低血糖は死をごく身近に感じさせてくれるよという話」)。だからこそ、そのときのダサい(と思っている時点で馬鹿なのですが)自分を指摘されるようで、不本意感が漂うのです。
「酒あり」だと人生立ちいかないのだ
じゃあ何のために酒をやめたかと問われれば、人生のために( -`д-´)キリッってやつですね。
つまり、このまま酒飲み続けたら人生が立ち行かない、ということです。恰好つけて言えば、自分の人生をサステナブルにするため、になるでしょう。サステナブルということ自体が生き続けることを前提にしているので、元アル中的お馬鹿な価値観からいえば若干のダサい感を覚えなくもありませんが、健康のために酒やめる、というよりも、人生のために酒やめるの方が、自分に対する説得力があります。自分に対する説得力というのは、断酒を続けるにあたっては結構大事ですもんね。
そして、健康のために酒やめたんだと言われたときには、いや、人生のためですよなどと言って相手がきょとんとする、あるいは考え込むといった反応を見るという、陰湿な楽しみがあるのですね。
ついでに言えば「健康のため」というのも間違いじゃなくて、それは目的ではなく手段です。つまり、人生を立ちいかなくなくするための一つのメソッドが健康ということです。今さら威張って言うことじゃありませんが。
でもって、ですね、お前はもう一生飲めないけど俺は飲んでいい、みたいにマウント取ってくる(?)輩には、「いやあ、〇〇さんはうらやましいすよ。酒飲んでいても人生立ちいくんだから」と言ってやればいいんですよ(ますますもって性格悪い)。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。