「俺はまだ飲める( ー`дー´)キリッ」の指標が、ここのところ急速に変わってきてるよねという話。

酒やめて、1748日。

国が「死ぬまで働け」と企んでいることの衝撃!

ちょっと前にも書きましたけれども、政府が死ぬまで働け(≒75歳まで働いてもらいますぜ)という企み(?)を持っていて、それが幻冬舎ゴールドオンラインの記事(参照「就職氷河期世代の暗黒「年金すらもらえない」老後破産の現実味」)によって「発見」されたことは、かなりの衝撃を持って世の中に迎えられたようです。

Twitter上でもこの問題について結構取り上げられていますが、こんな笑える、いやまったく笑えない、そして本質を突いたツイートもあります。

「国は死ぬまで働け、と言い 民間は45歳で定年、と言い」――まったくねー、その通りですよ。そして死ぬまで働かないためには、その45歳までの雇用が確保されているうちに、あるいは私のような定収入皆無のフリーランスの身ならば仕事があるうちに、なんとか将来に対する備えをしなければいけないわけですね。と考えると、やっぱり酒飲んでる場合じゃないという思いをほんとに強くします。

さて、これまた以前に「げにすさまじきはマウントを取る男。断酒者ならではの対抗策はといえば……」という記事を書かせていただきました。世の中には「俺はお前と違って、まだ酒が飲める」とマウントとってくる輩がいるということです。別に黙って飲んでればいいだけなのに、飲めることをことさらにアピールします。

「健康」だから飲める、そんな単純な時代じゃなくなってしまった!?

で、その「飲める」根拠は、健康だからというものです。たとえば肝臓のγ-GTPなどの数値が正常値だから飲めるという理屈ですね。でもこれって、一世代前の、定年退職と同時に年金受給していた世代の「指標」ではないでしょうか。そうした世代においては、お父さんこないだの健康診断でγ-GTPが高かったそうじゃないのお酒控えめにしてねという、ごくごく穏当なシーンが現出していました。

ところが、我々を含めたこれ以降世代(死ぬまで働け世代?)は、やっぱりちょっと違うと思うのです。あるいは定年まで働けた世代であっても、そうせずに、いわゆる無頼な生き方をしていた人も同じです。「健康だから」という指標を用いることはできません。ただ、そういう無頼な人に限って「俺は健康だまだまだ飲めるぞ( ー`дー´)キリッ」とアピールしたがっている気もしますが(苦笑)。

しつこいようですが今後は、死ぬまで働けの時代になるわけですよね。しかも現状、雇用も非常に不安定です。そうすると肝臓がいくら健康であったとしても、もちろんそれは重要なことですが、その意味が飲酒するという局面において、ずーっと小さくなってしまいます。有り体に言えば、肝臓の数値がまったくの正常値であっても、それがそのまま「飲んでいい」にはならないのですよね。

死ぬまで働けの時代において、それよりもずっと重要なのは、むろん脳が健康であるということです。そして少量の飲酒でも脳に悪影響を与えることは、たとえば「適量のアルコールでも脳には悪影響が 海馬の萎縮リスクが3倍以上に」といった記事でも明らかであり、世間の常識になりつつあります。

もはや内臓の健康状態は「飲める」とことを担保しない。いやいやいや恐ろしい時代だと思いますよ。

で、我々断酒軍(?)としては、内臓の数値(だけ)を根拠に「お前は飲めないけど、俺はまだ飲める( ー`дー´)キリッ」の人を冷ややかに見ていればいいのです。

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