酒やめて、1046日。
二日前に、「忘年会に上司の説教はつきもの」という話を書きました。酒飲みながら説教する上司、そして酒飲みながら説教する父親は、昭和の時代から続いてきた、いやいや人間の歴史とともにあった存在なのかもしれません。それぐらい説教と酒は相性がいい。というより悪縁でつながっています(笑)。
世の中のおっさんは、なぜ酒を飲むと説教したがるのか
話をおっさんに限定すれば、世の中のおっさんは、なぜ酒を飲むと説教したがるのか。私も父親としてそうだったので、これはとてもよくわかるのです。
親としてですね、子どもにどうしても言っておきたいことがある。もっとも、うちの子は父親の言うことを聞いたら負けだ的な価値観を持っていましたので、大体何を言っても馬耳東風なのですが、しかし進路のことなどは、親の方が長く生きていて、また世の中を見ているからわかるわけですよ。とくに語学とICT運用能力の重要性は、私だって一応社会人だから普通にわかる。だから言いたくなります(笑)。
で、ですね。その言わなきゃいけないという気持ちが、酒を飲むとなんというか非常に嵩じてきて「ここで言うことが俺の使命、いや天命だ!」になるのですね。もし飲んでなかったら「まあいいや」「言わないでいたほうが賢明だろう」であるかもしれないところが、「どうしても言わなきゃいけない」になるんですよ。この辺は以前書いた「執着心」と関係があるのでしょう。
いずれにせよ、価値観が相対的ではなく絶対的になる、頑なになってしまうんです。酒を飲んでいると。それがどうしても言わなきゃならない=説教に変化する。そして親の場合、「どうしても言わなきゃいけない」は、当然のことながら親心に基づいているわけですから、ますます「どうしても」になります。酒の力を借りて。まあ子どもにしてみればたまったもんじゃありませんよね。
酒で嵩じた親心が酒ゆえに伝わらない皮肉
ところが酒を飲んでるものだから、お父さんまたお酒を飲んで好きなこと言って、になりがちです。この辺が非常に難しい。親心が、酒ゆえに伝わらないのですね。
さて、ここで唐突に星一徹のことを考えてみます。酒を飲むと頑なになる。執着心が強くなる。だから説教する。飲酒時代の星一徹は、まさにこの文法通りです。そして息子・飛雄馬に「巨人の星」(=ジャイアンツに入団してそのなかでもひときわでっかく輝く明星になること)を強要するわけです。飛雄馬にとっては、かなり迷惑な話です。しかも、その執着心の「純度」(?)は、酒ゆえに高まっている。が、酒ゆえに、飛雄馬にはそれが伝わらないのです。
結局、その夢を目指すために一徹は酒をやめるのですが、そうすると、飛雄馬もその「巨人の星」を共有するようになる、と物語は展開していきます。
つまりこうはいえないでしょうか。ここで「説教=親の強い思いを伝えること」というふうに規定すると、酒飲んで説教しても伝わらない、説教は酒飲まずにするべきだ、しかし一番説得力があるのは、大酒飲んでいた人が酒をやめてからする説教である、と。断酒者にとって、都合よすぎますかね(笑)