酒やめて人生が「あせり」ベースから「ゆとり」ベースへと一大転換した。これは劇的と言っていいのではないか。

酒やめて、1440日。

酒をやめて劇的に人生が好転するか否か。これはよく(断酒界隈では)議論されるところです。私自身でいえば、劇的かどうかはわかりませんが、地味に好転していると感じる局面はいくつもあって、その一つはやはり時間ですね。

いつも「ゆとり」を持って生きていける!

酒をやめると、とにかく時間的ゆとりをもって生きることができます。

もちろん飲酒時代も、なにしろ私はちょっとしたことで仕事を失うリスクがある非常に不安定な身分なので、仕事の約束の時間に遅れたり納期をミスすることはありませんでした……いや、少しありました(苦笑)。

しかしながら、酒をやめてからはそういうことがまったくなくなった……のは当然としても、とにかく、仕事だろうが日常だろうが、いつもゆとりを持ってできるようになったんです。これは二つの要因があると思われます。

一つは当然ながら、酒やめて大量に時間が生まれたということです。いつも書いていて大変恐縮ですが、酒の時間強奪能力たるや半端ないので、やめると本当に時間が湧いてきます。体感として一日24時間だったのが30時間以上になる感じでしょうか。この辺は劇的ですらあります。

酒飲んでいた時代のペースで生きるともう時間が余って仕方がないです。ですから「あせる」ということがなくなりました。それは、約束の時間においても仕事の納期においても、です。しつこいようですが、この辺は本当に劇的と言っていいと思います。

よくいるじゃないですか、飲酒習慣があるのかどうかは知りませんけれども、あー遅れるう~とか言っていつもバタバタしてる人が。それはいいのですが、タチが悪いのは、バタバタしてる仕事ができる俺( -`д-´)キリッという勘違いをしていることです。実は私もそういう部類の人間でした(苦笑)。

でも今は、仕事の納期から日常の些細なことまで、常に時間的余裕を持って対処できるようになった。これは本当に一大転換と言ってもいいと思います。何度も強調してすみませんが。

で、重要なのは時間的余裕を持ってやっていると、精神的にもゆとりが生まれるのです。普通の人は普通に感じていることかもしれませんが、私には画期的でした。そしてそれが行動だけじゃなく、考え方すべてに及ぶといった感じでしょうか。上手く言えませんけれども。

結局、酒が「ゆとり」を奪っていたんや!

もう一つは、やはり飲酒時代は常に酒を飲みたくて、その飲みたい気持ちに常にせかされて「ゆとり」がなくなっていました

会議が長引いたりすると、なんだこのくだらない会議は俺様の酒を飲む時間を奪うのかと、やたらカッカイライラしていましたね。アル中の典型と言われてしまえばそれまでですけど。

また、いつも何かに追い立てられているような漠然とした「あせり」がありました。それはやはり酒にせき立てられ、酒によって脳を改造されていたのです。

なんだか具体的な話と心象的な話をごっちゃに書いてしまいましたが、ともあれ「あせり」ベースから「ゆとり」ベースへと人生が転換したのは、やはり劇的と言っていいのではないかと考える次第です。

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