酒やめて、3235日

なぜ、アル中は指摘できて、多重債務は指摘できないのか?
ちょっと前の新聞記事で見たのですが、現在、多重債務者が急増中で、2021年3月に比べ三割近く増えたとか。ネット記事にもなっています(参照「【独自】多重債務者急増、147万人 金融庁調査、物価高影響か」)。
そして本ブログでは、そのような多重債務者とアル中の対決というか確執というか、そうしたことをたびたび取り上げさせていただいております(参考「アルコール依存と多重債務、どっちがよりヤバいか?」)。なぜならば、私は知人の多重債務者からよく「お前はアル中だ。酒が萎縮している!」とさんざん指摘され(その通りなのだが)、酒をやめてからも「お前はアル中だったからもう飲めない。俺は楽しく飲める」とマウント取られて(?)いたからです。しかし、そういうときに「そういうあんたは多重債務者やん」とはなかなか言い返せないもので、この辺の空気感には何か謎のようなものがあります。
多重債務のご本人は、銀行からもアコムからもレイクからも借りられるだけ借りているみたいなことを広言していて、だから多重債務者だと知ることができるのですが、でも面と向かっては言えないのです。なのにアル中は、繰り返しますが、お前はアル中だといとも簡単に言われてしまう。そのような社会的コンセンサス(?)が出来上がっているようですね。
アル中は、本人や家族にとっては深刻なものではあるけれども、ただ、大量飲酒者とのグレーゾーンの幅が大きく――専門家によればグレーゾーンはみんなアル中らしいが――また最近では「アル兄わかささん」のようなアル中アイドル(おっさんだが)が出現していることもあって、なんというかカジュアル感があるわけですよ。一方で多重債務はやっぱり生活苦みたいなことと結びついて深刻なものがある、だから指摘しにくいというふうに言えるかもしれません。
断酒はプリンシプルが単純なだけに実行しやすい!?
ただし共通点もあって、両者ともに、ハラをくくれば、すぐにその状態から抜け出せられるということですよね。アル中は酒やめればいいだけで、多重債務者は自己破産なりをすればいいだけ……と一応は言うことができます。自己破産については手続きは煩雑でしょうけれども、とりあえず借金をチャラにする方策としてあります。そしてアル中も酒やめれば、たとえ一日であっても「断酒」です。
むろん難しいのは、その断酒を継続することです。そのためには生活を組み替えなければいけない。このことは、アル中→断酒大先輩の小田嶋隆さんも自著のなかで指摘しています(参考「「インテリだから酒やめられる」@小田嶋隆氏の主治医←なかなかツボな理屈」)。そして、その「組み替えた生活」が心地よい、あるいは有意義だと実感することが断酒を継続する駆動力になるという構造になっています。
でもって、ここからが言いたいところなのですが、断酒については、それが一日一日積み重なると、積み重ねたこと自体が継続する力になる。つまり、生活の組み替えの中心に、断酒継続という非常に単純なプリンシプルがある。それゆえに、SNSなどを通じて仲間意識が醸成されやすく、それもまた大きな力になってくれる。
一方、多重債務はどうかと言えば、多重債務の横のつながりみたいなものもSNSなどではあるのでしょう。けれどもそこから抜け出し、なおかつ生活を組み替える過程における横のつながりはなかなか得られにくいのではないでしょうか。
この辺りが、アル中(→断酒er)と多重債務者の違いなのかなあ、だからアル中のほうがよりそこから抜け出しやすいのだと考える次第であります。先に引用した過去記事とは、若干異なる結論になってしまいましたが(まあ、個人ブログなんてそんなもんだ)。
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