平和憲法で国が守れると主張するのと同じくらい愚かしいこととは?

酒やめて、3328日

平和ボケは平安時代と似ているといいますが

ひとつ前のエントリで「人生をルーティン化することが最大の自衛力になるという話」を書いたら、それに対して、私がX上で勝手に断酒仲間認定させてもらっている「トニー」さんからXに次のようなポストをいただきました。

まったくその通りですよね。「平和を欲するなら次の戦いに備えよ=守るために武装する」は、人類の歴史とともにあったといってもいいでしょう。そういえばピースメーカーという名前の銃もありますし。それが根本だったのです。「守るために武装しない」原理を信奉しているのは戦後の日本だけです。

しかしその日本とて歴史を見れば、元寇を防いだのは神風と言われてきましたが、大前提として、元と高麗の連合軍が海上に停泊していなければ神風によって船が沈められることもなかったわけで、ではなぜ海上にいたかというと、上陸してきたときに当時の鎌倉武士が奮戦し海上へと追いやったからでしょう。鎌倉幕府が軍事を組織化するシステム(=「いざ、鎌倉」)を有していたことが効いていたにですね。

一方、その前の時代の平安時代はといえば、国家が軍事を組織化せず、平和はもっぱら「祈念」に頼っていたので、刀伊の入寇の際は、壱岐、対馬の島民が虐殺拉致されるなど悲惨な結果を招いています。このような平和ボケした平安時代は現代と共通しているとも言われます。

そして平和憲法が日本を守るという思想、よく九条教と揶揄されますが、揶揄されることでもわかるように、今やこれを信奉しているのは一部のリベラル政党だけです。オールドメディアの多くは意図的にそういうプロパガンダを行っているという構図ですね。

ただ、昔はそうではなかった。私なんか学校の教師に、自衛隊がいるからに戦争が起きると教わりましたからね。

幸いにも父が、スイスが永世中立を守れるのは強大な軍事力を持っているからだと教えてくれたので、九条教の信奉者にならずに済みました。父は民放勤務だったのですが、当時は民放もまともだったということなのでしょう。それがいつの時代からか、周辺国に都合のいい特定思想のプロパガンダ機構になってしまいました。

ともあれ繰り返しますが、平和憲法を信奉していたのは日本という国においても戦後だけであり、しかも今やネットのおかげで、その平和憲法の無力さどころか有害性が完全に暴かれています。だから今さら私のような者がリキむことでもないんですけれども、ただ断酒ブログ的に言えば似ている点があります。それがひとつ前のエントリでも触れた「酒と仲良く当たらず障らず付き合う」という考え方です(前置き長くてすみません)。

「酒をコントロールできる」=「中国をコントロールできる」!?

これってホントに平和憲法とそっくりなんですよ。うちらは平和憲法を信奉する国だから、中国をはじめとした脅威となる国を刺激せず上手くやっていけるという考え方にマジ似ています。

俺は断酒してマトモになったと思い込む。これは戦争に負けて平和憲法を制定したことと似ています。だから今後は酒と上手くやっていける、と考える。まさに、平和憲法があるから戦争が起きないと考えることとそっくりじゃないですか。

あるいはアル中→断酒という過程を経なくても、俺はマトモ(平和主義者?)だから酒(周囲?)とも上手くやっていけると考えている人間はたくさんいる。

でも、本人はそのように酒という存在をコントロールしているつもりであっても、だんだんできなくなって酒さんが脅威になってしまう。まるで、中国が豊かになれば日本企業のマーケットが飛躍的に拡大するとほくそ笑んでいるうちに、技術は盗まれて内製されるわ、それを使って世界進出され結果的に中国以外のマーケットまで奪われるわという状況そのものです。コントロールしたるでえと思っているうちに、コントロール不能になりこちらがコントロールされるようになる。いやいや、ホントに似ていますよ。したがって酒さんの脅威は中国並みだと。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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