飲酒習慣が深度化すると、「酒を飲む自分」が「自分」になってまう。そこから何が起きるかというと……。

酒やめて、3197日

「おいCちゃん」さんの投稿が話題になっていますが……

一つ前のエントリで「「飲酒習慣とは何か」ということについて、同窓会で考えてみた」を書かせていただきました。ちょっと言いきれてないなあと思っていたら、上手い具合に(?)X上で以下のようなポストを見つけました。めちゃくちゃバズっています。

この「おいCちゃん」という方が、どのような戦略でポストしているのかわかりませんが、発泡酒や第三のビールではなくエビスビールなのですね。だから、これはネタかもしれませんが、ただこれに近い、そしてネタではない事案(?)が身近にありまして。

私の友人であり仕事仲間が、先輩に借金を申し込まれたというのですね。それが「3万円、無理だったら2万円でもいい」だったそうなので、ちょっと生活に困っているという類のものなのでしょう。

でもってその先輩は、同じ口で……というのもヘンですけれども、昨日は日高屋で定食を食べレモンチューハイを飲んだといったことをLINEで報告してくれたといいます。

友人は、これにちょっと呆れていたわけです。人に借金を申し込んでおいて、チューハイだけはしっかり飲むんかいっというわけです。

何十万とかの借金であれば、レモンチューハイを飲もうが、まあ「焼石に水」ですよね。しかし2万、3万お金が足りないということに対しては、飲まないことは実効的な節約になります。いくら安い日高屋といっても、お酒だけは結構いい値段しますので。でもそうはしない。友人からすれば、実際に飲んでいたにせよ、それをわざわざ報告してくるというのがなんだかねえ、なのです。

「酒を飲む自分」が「自分」になることの恐ろしさ

と、他人事のように書いてしまいましたが、私は、その先輩の気持ち……というより行動原理が、もうわかりすぎるほどわかるのですよ。先輩にしてみれば、飲むということと借金を申し込むことは何ら矛盾してない。

これはアル中になった人しかわからないでしょうが(威張ることじゃないし、その先輩がアル中かどうかは知らんが)、酒を飲む自分と借金する自分は「一体」なので、借金をするから飲まないというふうには決してならないのですね。持ち前の文章力のなさで上手く表現できないのですが、「飲む自分」は当たり前すぎるほど当たり前の存在なので、じゃあ2~3万円足りないからそこを切り離そうという発想自体がない。

が、それって端から見ると、ものすごく奇妙なことですよね。私も酒をやめて、初めて気づいたのですが。

当選ながら「普通の発想」は、「お金が足りない、じゃあ飲むのをやめておこうか」です。だから友人も呆れたのです。

しかし、そういうふうにはならない。そして、その「飲むこと」、さらにはそれを借金する相手に報告(?)する異常さに気づかない。なぜなら繰り返しますが、「酒を飲む自分」が「自分」だからです。酒を飲む行為が自分のアイデンティティになっているからです。ここのところが、酒という薬物の非常に恐ろしいところですね。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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