酒やめて、3120日
お値打ちレストランでひときわ高価なもの
サーフィンした帰りに海そば道の駅に併設されているレストランに行くと、たとえば地魚のフライ定食が1000円ちょっで食べられます。下の写真を見てもらえばわかりますが、非常にお値打ちであります。
まあしかし、そーはゆーても、ここのところの物価高で定食の類も高くなりました。ちょっと前までは5~600円で普通に食べられていたような気もするのですが(外食事情にはあまり詳しくないが)、今は一食1000円がすっかりデフォですよね。
ただ私事を言えば私の場合一日2食で、うち1食はプロテインとブロッコリーとゆでたまごだけなので、もう1食に外で定食を食べても、一日の食費がその定食代のプラスアルファ程度で済んでしまうのが救い(?)であります。ホントに老後に向けて、生活をミニマムにしていく必要性をひしひしと感じますよ。
でもってそのように考えると、お値打ち感のあるご飯屋さんにおいて、ひときわお高いのはやっぱり酒ですよね。先の道の駅レストランでも「生!」と頼んでいる人がいましたが、値段を見ると中ジョッキが600円もしたりしました。
そして中ジョッキなどは、自分の過去のことを考えても、ぐっと一気に半分ぐらい空けてしまうわけです。つまり一瞬で300円が消える。
今となっては、なんと恐ろしいことだと思うのですが、ただ昔は金もないのに、そうしたことを普通にやっていて何の痛痒も後ろめたさも感じていなかったのだから、まったく烏滸の沙汰でした。そして老後に必要となるミニマム生活を考えると、その「烏滸」に思いを馳せるのも、断酒継続の強力なモチベーションになります。当然ながら。
「体験」にお金を使うのはアリですが……
結局のところ、コスパを追求しつつ生きていかなければいけないような状況にあっては、「定食屋の生」くらいコスパが悪いものはないと、今、冷静に考えたりします。
しかし、その辺のことを考えさせないようにするのが酒さんというところの者であり、酒を飲む習慣があると、それがアル中まで行ってなっても、酒の消費を「別腹」にしてしまうところが恐ろしいところです。
むろんアル中度合いが進行すると、いかにコスパよく飲むかということに心を砕きますし、またたとえば生ビールジョッキ一杯とつまみ二品で800円といった破格価格の立ち飲み屋を発見したりもしますが、しかし当然ながら一杯で済まない。でもってその価格が「呼び水(呼びビール?)」になっているということが、今となってはわかります。が、当時はそんなことも考えずに、めっちゃ安いじゃんと思って入り、三杯四杯と重ねるのが常でありました(学習できない)。
で、何が言いたいか、というとですね、酒というものは、消費という世界の中で別腹感を主張するものであるということです(参考「「飲酒は特殊な消費」には、その先がありまして」)。
これって「推し活」にちょっと似てますよね。推し活民は、まったくの別腹感でお金を使う傾向があるそうです。私の娘が昔、東京ドーム近くのレストランでバイトしていたのですが、嵐のコンサートに来るおばさまたちの大盤ぶるまいぶりが半端なくてありがたいと申しておりました。ドーム近くのレストランにおいてでさえそうなのだから、当然、推し活対象についてのもろもろ(チケットやグッズなど)にはもっとであり、それはその消費を「別腹」と考えているからでしょう。
そしてそうしたおばさまたちにしたところで、普段は、スーパーでタマゴ1パックの10円20円の違いに目を光らせていることと思われます。たぶん。余計なお世話ながら。
ただ推し活は「体験」であり、そこにお金を使うというのはむろんアリでしょう。しかし飲酒は体験ではなく日常です。また体験チャンスを奪う行為でもあります。そうしたものに「別腹」でお金を使うということの異常さをあらためて感じる次第でございます。
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