ジジイになると「飲む」「飲まない」はさらに深刻に人生に関わってくるのだった。

酒やめて、2710日

「もっと早くやめればよかった」けれども……

断酒すると基本的には良いことばかり、というのが多くの断酒erの感想だと思います。そしてやっぱり、というか「良いことばかり」の裏返しでもあるのですが、もっと早くやめればよかった!」になります。

私のようなジジイになってから断酒したような人間は、やはりその思いが非常に強いのです。もし子育て期に酒をやめることができたら、とは何度か取り上げています(後悔を書かせていただいています)。今、体験格差なんてことが言われますが、酒は、自分の体験を奪うだけではなく子どもの体験まで奪ってしまいます(参考「親の過飲酒は、子どもの経験チャンスを奪う」)。

その体験格差、というか幼少期からの体験の重要性を受けて、探究学舎という体験塾がちょっと前から話題になっていますが、そこで行われているのと似たことを親としてできたのではないか、そしてそれは子どもの人生に大きな影響をもたらしたのではないか、と、その辺はやっぱり悔恨が残るところです。

とまあ、そんなことを書き始めると悲しくなるだけなのでこの辺にしておいて(身勝手)、ジジイになってから酒やめたからこそ実感できたこともまたあります。タイトルにある人生に対する深刻な影響ですね。

ちょっと前に同窓会があって、同世代はリタイヤあるいはセミリタイヤしていますので、そこで、暇だと昼から飲んでしまうという昔の仲間がいたという話を何度か書かせていただきました(参考「断酒によってお金のかからない「時間潰しハック」を身に付けておくことは、存外大きな意味を持つのかも」)。

基本的に人間、齢をとると、やることがなくなってきます。それは退職する、閑職になる、ということもあるのでしょうけれども、やっぱり子どもの手が離れるとか、要は人生に課せられたやるべきことが終わってしまったのを実感するのです。そこで酒に走るか走らないかというかというのは、結構ポイントですよね。

逆に言えば、若いうち、しゃかりきに働いているうちは、基本的には酒の害も顕在化しない。いや、本当はするんですよ。それはやっぱり体験レスになってしまうことですよね。冒頭にも記したように、子どもにも影響を与えますし、本人にとっても、現在のようなご時世においては、将来に対する仕込みができないというのは大きいです。

ただしすぐにはその弊害は顕在化しないでしょう。十年、二十年経って顕われる。だから恐ろしいのですが、まあそんなことを言い出すと、話がややこしくなるので、とりあえずこれも措いておきます。ともかく若いうちの飲酒は、人生を深刻なものにしない。少なくともその時点では。

他のことでドーパミンが出るのを、酒さんは邪魔するのだった

ところがジジイになると、酒の害というものと人生の関係が密接になります。

すなわち、ジジイになって暇になると、酒飲むしかなくなっていくのですよ。私の周囲にもそういう人はそこそこいます。酒は、最も手軽なレジャーです。

若い頃から趣味を持っていたとしても、体力気力衰えてもできることは限られています(そうしたなかで、いかにも若い人の趣味ぽいサーフィンは、実はジジイ向けなのだということも度々書かせていただいております)。

そこで重要と思われるのは、どんなことでも、やればドーパミンが出るのを脳が覚えていることなのかなあ、と。

ブログを書いてもドーパミンが出るし、家の片付けでも出る。そのことを知っている脳はそれを出すことができると言っていいかもしれません。

私などはジジイになってから酒をやめたけど、そうしたことを脳が覚えたのが大きい。だから、やることがないがなくなっている。逆に言えばそれまでは、それは酒によって封印されていたのですよ。酒は意思を持ってそのように脳が動くのを阻止します。

ともあれ、たとえ暇でも、酒を飲まずに何かに積極的に取り組める(どんなことでもドーパミンが出ることを脳が知っているのでそれに取り組むことができる)のは、やはり脳の活性化にもつながりますし、逆に酒を飲んでいると認知リスクが高まるということもあります。

なので「飲む」「飲まない」という判断あるいは選択は、やっぱり加齢とともに人生に深刻に関わってくるのだということを強調したいのでありました。

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