酒やめて、2598日
酒とともにストレスも人生から追い出さなければならない!
ちょっと前に、ストレスを与えてくる輩に対する自衛策についての話を書かせていただきました(参考「酒やめるとストレスの元凶を除去できるという話」)。実際、ストレスの怖さというものは年々認識されてきています。一番怖いのはやはり脳を毀損することです。
一生働かなければいけない時代にあっては、一生脳を健全に保たなければならない。そして当然ながら酒は脳を毀損する。とくに「俺はγ-GTPの数値は大丈夫だから」と言って安心して(?)飲んでいると、肝臓は大丈夫でもどんどん脳の劣化が進行する、それが飲酒において一番ヤバいパターンなのだということは今ではよく知られていますし、このブログでも度々取り上げています。
なので、酒をやめている価値が際立つわけですが、ただし過大なストレスを感じてしまうと、せっかく酒やめているのに、「脳を健康に保つ」という点において、その効用は半減してしまう。ということでここはなにがなんでも酒とともにストレスを自分の人生から追い出さなければなりません。
そして当然のながらストレスを発生する最大の要因は人間関係であり、その点について以前にも言及したのですが、もうちょっと踏み込んでみたいと思います。誰にも頼まれてませんが。
結論から言ってしまえば、ストレスを発生させない人間関係を保つことは、自分の心理的パーソナルスペースをきっちり守ることで、そこに踏み込んで来させないということですよ。でも酒を飲んでいる人間は、えてしてそのラインを越えようとするのです。
「無礼講」もまた酒さんとオールドメディアがつくり出した幻想だ
さすがにいまどき「俺の酒が飲めないのか」は絶滅危惧種になってきていますけれども(たぶん)、ただたまに仕事上の会合の類に出ると、飲みながら後輩に説教を始めようとする輩を目撃します。
説教というのは、要は相手の生き方についてあれこれいうということで心理的パーソナルスペースに踏み込むことの典型です。でもって、されるサイドにしてみれば、ここをきっちり自分で防衛することがストレスをためないポイントになり、それには酒を飲まないと有利です。
一昨日も書きましたが、断酒すると、まず「ぼっち耐性」×「自分軸」が発するアトモスフィア(?)によってブロックができる。もう一つは「踏み込んできても」冷静に対処できる。つまり相手のペースにならない。
むろん酒飲んでなければ、そうした会合に出ないことがしやすく、物理的にそういう人間と距離を置くことができる。というか、飲んでいると、そういう人間がいることがわかっていても飲み会の類に行ってしまいがちです。私の場合はそうでした。人より酒が優先し、そして人によってストレスを感じ、酒とストレスのダブルで脳を劣化させるというパターンだったのですね。阿呆ですわ。
その点、今の若い人は「飲まない」ことも含めて、ある意味本能的にストレス発生原因人間と距離を置くことができているようにも感じます。
ともあれ、酒飲んで「無礼講」で何かが生まれるというのは、オールドメディアが酒メーカーとのコラボでつくり上げた幻想ですよ。そして断酒erならずとも、それに気づく人間が多数を占めるようになっている。すなわち人類は、心理的なパーソナルスペースを意識し、それを守り、また他者のそれに踏み込まない方向にだんだん進化しているのではないかと考える次第でございます。
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