酒やめて、2462日
飲酒よりも「腹筋を割る」ですと!?
私事で恐縮ですが、ちょっと前に学生時代の内輪の集まりがありました。今年になって2回目で、要するにみんな退職したり閑職に就いたりで暇なんですわ。
でもって、同窓会ウォッチを通じた飲む飲まない話は以前にも書いていますが(参考「余計なお世話ながら、飲酒者の「着地点」を考えてみまして」)、今回はちょっと踏み込んだところを、ご参加の皆さんに訊いてみたわけですよ。このブログの取材(?)も兼ねて。それは、皆さんの(成人した)お子さんが飲んでいるのか飲んでいないのか、についてです。
そうすると「飲んでない」そして「飲むよりも腹筋を割ることに夢中」みたいなお子さんもいました。むろん母数は少なく、また当然のように家を出ているお子さんもいて、はっきりしたことはわからないのですが、「家では飲まない、外では多少飲んでるのかもしれないけど」というお子さんを持つ同級生たちがほとんどのようでした。
我々世代の子ども世代は、ゆとり世代からZ世代ということになるんでしょうけれども、毎日のように飲んでいるという子を持つ人はほぼ皆無でしたね。いや、一人だけ例外がいてそれは私ですが(汗)。
それはともかく、その親のほうの飲酒状況はといえば、こうしたプチ同窓会のような場では飲んでいても、家じゃ飲まないという人間も何人かいて(まったく飲まなくなったという人間もいる)、あるいはそうした態度がこの子どもの飲酒姿勢(?)に影響しているのかもしれません。
親が飲まないとその子どもも飲まない!?
エビデンスが少ない話で申し訳ないのですが、子の飲酒状況において、親の影響てのはやっぱりあるのかなあ、と。
一つ思うのは、我々世代が飲むようになったのは、父親世代がいわゆる昭和のお父さんであり、家で飲むお父さんは偉いみたいな刷り込み(?)を受けたから、ではないかとも感じています。昭和的な価値観のなかには、「飲んでるお父さんは偉い」みたいなものはあったとは思います。だから、自分も飲むようになった。人のせいにしちゃいかんが(苦笑)。
そういう意味では多くの人が、親環境という意味では同じスタートラインにいたのですが(当時は一億総中流で「親ガチャ」なるものもなかったし)、その中で、昭和的価値観に乗せられなかった人が親になって、その子どももその価値観から解放された、といった側面はあると思うのですよ。
Z世代は飲まないというふうによく言われます。その理由を一言でいえば「人生に対する飲酒のコスパが悪い」ということになるでしょう。が、このような、親が古い価値観と一歩置いていることも一要素としてあるのかなあ、と。
そう考えると、飲酒習慣というのは、世代を超えて変わらない、あるいは変えることができるものなんだなあという考えを強くした次第でございます。
ここから導き出される結論はといえば、子どもに飲ませたくなければ飲まないということも一つあるでしょうし、またもっと大きくとらえれば、「家では飲まない親を見て育った」世代が飲まない大人になっているということは、脱・酒社会は、人知れず(?)もはや抜き差しならないところまで来ているのかもしれません。酒造会社をスポンサーに持ち、さらに財務省に忖度したいメディアが伝えてないだけで。
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