酒やめて、1682日。
昔は「酒」に関わる人々が文化をリードしてきたのに……
一昨日、映画「カイジ」シリーズに関連して、三年ほど前にアサヒビールが、カイジ×アサヒビールというタイアップキャンペーンを行ったことについて書かせていただきました。アンチヒーローたるカイジの負の部分の象徴――「キンキンに冷えてやがるぜ」をピックアップしたキャンペーンはいかがなものか、飲酒者を馬鹿にしているんじゃないか、ということです。
サントリーのストロングゼロの「肉! 現金! 当たる!!」キャンペーンも同じですが、こうしたことを酒造会社がやるのは一つの大きな転換点なのではないかと、私は確信しています。だから、これについてどうしても書いておきたいのです。アル中→断酒者の思い込みかもしれませんが、勇気を振り絞って以下、記させていただきます。この「転換」は、断酒を続ける人、断酒を始めたい人にとっては、存外に重要な意味を持っていると思われるので。
酒造会社はこれまで、その象徴としてたとえばサントリーホールの存在があるように、文化、文化振興というものと非常に深い関わりを持ってきました(参考「朗報なのか悲報なのか。あのストロングゼロが生産休止らしいぞ」)。日本だけじゃなく海外でもそうかもしれません。ギネス世界記録を始めたのはビール会社のギネス醸造所ですから。
この辺は伝統的なものでしょう。たとえば造り酒屋は地域の名士です。あるいは酒屋さんも、地域の小売業界で中核をなす存在でした。税金を多く含む商品を扱うということもあり、「お上の代わり」という性格も昔は有していたと思われます。
要は酒というものはその取り扱いにおいて、上級国民が関わる……と言ったら変ですけれども、そこそこセレブ感をかましてきたわけですよ。このあたりはヨーロッパでの修道院における酒造り、さらにはボルドーにおけるシャトーの経営と通じる部分があるのかもしれません(ワインはキリスト教世界においては「神の血」ですから、特別感はより一層大きなものだったのでしょう)。
その一方で酒は毒物なので、酒造会社は、流行の言葉でいえば依存症ビジネスという側面もまた昔から有していたわけですよね。造り酒屋や酒屋さんもそうかもしれません。そこのところを、うまい具合に社会と折り合いをつけてきた。その一つの象徴が文化活動です。
「酒飲み」を下に見ていることを隠そうともしない!?
ところが、ですね、ここに至って、つまりキャンペーンに「アルカス」としてのカイジ(下画参照)を使う、あるいは肉や現金を賞品賞金に用いるようになるに至って、もうなんというか依存症ビジネスであることを隠そうとしなくなった。そんなふうに言えると思います。なりふり構わず感がありますよ。
キャンペーンを企画したであろう大手広告代理店の、あー俺らが相手にするのはどうしようもない連中なんだ、依存症、あるいは依存症の手前なんだ、ダメなほうのカイジなんだ、という思いが見えてしまっています。これはあながち、元アル中のひがみとは言い切れないと思います。
昨日も書きましたが、なめられてるんですよ、酒飲みの皆さん。そして敵(?)はそれを隠してないんです。いわばホガースのジン横丁の画(下参照)を使ってキャンペーンやってるみたいなもんでしょ。
たとえば金融関係者は、いわゆる多重サイマーを軽蔑していますが、それを表立って顕わすことはしません。カイジに出てくるような金融会社はどうかしりませんけど。ところが、酒造会社はやっちゃったのですね。
何度もすみませんが、これって結構重要な意味を持っています。
酒蔵は昔から社会貢献を行ってきました。なにしろあの灘校は、灘の酒蔵の有志が出資して設立された学校ですからねー。あまたの優秀な頭脳を日本社会に送り出してきたわけで、酒の社会貢献おそるべし、です。
むろん、実業家がつくった学校は他にもあります。たとえば鉄道(東武)の武蔵、海運・金融(三菱)の成蹊、セメント(浅野)の浅野などですね。ただ、これらはみんな「財閥」です。それよりもはるかに資金力に劣るであろう酒蔵が、それでも日本最高峰の頭脳を育てる学校をつくったというのはマジ意義深いと思いますよ。
しかるに、ということを私は言いたいのであります。
ここに来て、「キンキンに冷えてやがる」「肉!現金!当たる!!」です。
むろんサントリーにしたって、先に挙げたようにサントリーホールをつくったり、あるいはそれ以前から『洋酒天国』という非常に知的レベルの高い雑誌を刊行してきたりしました。しかしここに来て「一転」です。時代の変わり目を感じます。いいのか、飲酒者、てなもんです。まあ、余計なお世話ですけど。
そして断酒すれば、こうしたふざけた「転換点」から縁遠いところで笑っていられることも事実ですよね。