酒やめて、2408日
なぜ「路上飲み」なのか
渋谷における路上飲み問題が物議をかもしています。X上でも一時トレンドに上がってましたので、かなり注目度は高いようです。この問題について、むろん誰にも頼まれていませんが、アル中→断酒er視点で考えてみたいと思います。
路上飲み問題は、このブログでも以前、取り上げています。コロナによって、飲食店が休業や時間短縮などした結果、あぶれた呑兵衛が路上に溢れてたということです(参考「コロナ禍における「酒ディストピア」化が、断酒の追い風になるのかならないのか。断酒者なりに考えてみた!」)。コロナが開けた今回もそのような分析もなされていますが、それはちょっと違うでしょうとは思います(後述)。また今回の特徴として、これにコロナ明けでインバウンド勢が加わって問題が大きくなっていることがあります。
まあしかし、海外では路上飲みなどもってのほかの国が多いといいますが、そのわりにはコロナ前から外国人の路上飲みはわりに目撃していました。日本社会はドランカープルーフやでえひゃっほーい! という感じでしょうか。日本をなめんなよーとも思いますが、まあ飲酒時代は「合流」したこともあるので、なにをかいわんや、です。
この来日外国人の気持ちを推し量るに、お高くとまっている(ように見える)世田谷の住宅街から、川を一本渡って呑兵衛天国(のように見える)溝の口にやって来たときに感じる開放感があるのではないでしょうか(そうなのか?)。
それはともかく、この路上飲みについては、古市憲寿さんにいわせると「文化」だそうですが、とんちんかん感が否めません。
その背景にあるのは、これは断言できますけど、金がないからですよ。
若いうちからの「分化」が始まっている
仕事帰りの電車の中で飲む、みたいなことも含めて、店に行く金がない。手っ取り早く飲める。私なんか電車で立って飲んでいましたからね。まさにアルカスです。
ちなみに常磐線は、そういうことに対して「ゆるい」らしく、マジで常磐線沿線への移住を検討していました(参考「ツイッターの#常磐線日記がめちゃ笑えて、しかも断酒モチベーションも高めてくれる件」)。
また鉄オタ、旅行オタ的にいえば、ロマンスカーやボックスシートに座れた場合、流れゆく景色は最高の肴ですから、これは天国ですよ。もっとも車内飲みも白い眼で見られつつあり、鉄道系ユーチューバーの方などは相当に気を遣ってますね。とまあ、それはともかく路上飲みです。
しつこいようですが、金がないけど飲みたいから路上で飲むのです(めちゃわかります)。そして一方に、冷ややかに見る人がいる。
なので、①「金がないから路上で酒でも飲もうやぜ」勢と、②「こいつら何やってるの」勢に、今や完全に「分化」してるというふうに考えていいと思います。「文化」@古市じゃなくて。
そしてそれが、階層あるいは階級などにもつながっていくんでしょうね。日本の本格的なディストピア化の一面が現われています。
「アリとキリギリス」なんて言いますが、「キリギリス」的価値観がもてはやされたのは、高度経済成長期後半からバブルを経てIT革命まででしょう。今は、つまりITやATの時代は、誰でもそれでコトを成せる一方、そのために「アリ」的な作業量を必要とします。酒飲んでいる場合じゃありません。
こうしたことからも「分化」ですよね。①の若者と②の若者では先々、かなりの差になるのでしょう。断酒er的には、高みの見物していればいいわけですが。
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