「なんにもやることないから酒を飲む」問題にどう対処するか。

酒やめて、3092日

加齢と「アル中への道」は親和性が非常に高い!?

一つ前のエントリーで「消費するものから貯蓄するものへ。酒やめて、自分にとっての「時間」の意味が180度変わりました」といったことを書かせていただきました。私自身、酒をやめて、時間というものに対する考え方が本当に変わり、時間の大切さがようやくわかった、時間を慈しむようになったというところです。今さら過ぎて愚かしいのですが。ともあれ今は、「元気があれば何でもできる」同様「時間があれば何でもできる」ということを金科玉条にして生きていますし、これはまったくの真実だと思います。

さて、これとは逆に、時間を潰すために酒を飲むという考え方というか実態もあります。

アル中になる理由として、たとえば定年退職などして何もやることがなくなったから、というものがあります。手持ち無沙汰で酒でも飲むかといううちにアル中への道を歩み始めるパターンですね。加齢とアル中は、人生のステージ的にも非常に親和性が高いことがよく指摘されます。

むろん、飲酒の脳に対する影響も加齢とともに大きくなりますので、ステージ的にだけではなく、身体的にも、ですが。

実際、私の元同僚でも、一応まだ仕事はしているのですが閑職で、土日などは暇すぎて朝から酒を飲みそうになるので必ずゴルフに行くという人間がいます。昔は、私と同じく安サラリーマンでいつもピーピーしていたはずなのに、いつのまにか、そんなふうな優雅な身分になっています。私などの年代になると、人生の明暗が本当にはっきりしてきて、まったく空恐ろしいものがありますよ。

それはともかく、加齢と「アル中への道」は親和性が非常に高い。普通に飲んでいて酒量が変わらなかったとしても、酒の影響というものがどんどん大きくなっていく。

で、このことは、現役時代の「今日もよく働いた酒でも飲もう」ということと一見対照的なことのように見えますが、実は表裏一体なのですね。

「忙しく働いた酒でも飲もう」から「忙しく働いた」を引き算した結果、「酒でも飲もう」になるのだと思います。

「忙しい」に価値を見出さなければいいのだ

これに対する解決策(?)して、現役時代から趣味を持ちなさい、定年後も打ち込めるものがあればアル中になるリスクを回避できる、とはよく言われるところで、もちろんそれは事実でしょう。

アル中→断酒erという立場から言えば、そうした代替行為を持てば、つまりアルコールの代わりにドーパミンを出してくれる行為を持てば、断酒しやすいということも経験しています。そして、一度アル中になってしまった人間は、ドーパミン噴出に対する依存度が高いので、他に代替行為でドーパミンがでることが分かれば断酒もしやすいということも、このブログで度々訴えているところであります(参考「酒の代替」カテゴリ)。

とまあ、そういう側面もありますが、もう一つの方法(?)があると思うのですね。これまた、このブログでも度々言及していることですが(汗)。

リタイヤかあるいはそれに近い状態でアル中になってしまう前提として、前述のように「忙しく働いた酒でも飲もう」から「忙しく働いた」を引き算した結果「酒でも飲もう」になる、ということがある。じゃあこの公式(?)から「忙しく」を取り除いてしまえばいい。

むろん、現役時代はだれでも物理的に「忙しく」せざるを得ないでしょう。ただし、心情的に、となると違ってきます。

私の周囲にも「忙しい」を至上の価値にしていて、「忙しい」ことでマウント取ろうとする輩もいます。でもそうだと、「忙しい」が自分のアイデンティティとなり、それがなくなると、その空白を酒で埋めたくなるのでは、と考えます。余計なお世話ながら。

たとえ物理的に忙しくても、「仕事なんていいんだいいんだこんなもんで」という心根で、それを至上の価値にしなければ、加齢に伴うアル中になるリスクを軽減できるのでは、と考える次第であります。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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