酒やめて、2854日
男性はかまってちゃんになりがち!?
ちょっと前の『週刊東洋経済』の特集は「超・孤独社会」でした。東洋経済さんは以前から「貧困」のコンテンツ化を得意技としていましたが、今度は「孤独」に目をつけたようです(前からかもしれんが)。なかなかあざといです。
一方でXでは、独身中高年女性(のロールモデルがないこと)がトレンドワード入りしていました。
これに対する当事者(?)の反応はといえば「ほっとけボケ〜(意訳)」が大勢を占めており、この辺は、長年連れ添った夫婦において、妻が先に亡くなると夫は一気に老け込み、夫が先に亡くなると妻はイキイキすることと通じるものがあるのでしょう。
なので「(物理的な)孤立」はともかく「(心情的な)孤独」は、やはり男性の問題なのかもしれません。先の東洋経済にしても、それを前提にしているように見受けました。
まあ実際、私にしたところで、孤独孤立でいわゆる弱者男性の一人でございます。
で、周りにも、離婚したりだとか、先立たれたりとかで、そのような境遇の男はそこそこいます。そしてそうした連中は二つのタイプに分かれるのですね。一つは「別にぼっちでもいいじゃん気楽で」といった先の独身中高年女性と似たようなメンタリティを持っている人間、もう一つはいわゆる「かまってちゃん」です。
自分のことをいうのもなんですけれども、私も別にどおってことない派です。なのでかまってちゃんにかまってされると、めっちゃうざいです。
酒とビンボと孤独は手に手をとってやってくる
で、この辺のことは経済力とも関わってくるのかもしれません。孤独孤立問題は経済問題でもあり、そしてここに酒も絡んできます。
以前も書かせていただきましたが、酒は一番手軽なレジャーであり、経済力が失われるとそれ以外のレジャーができなくなってしまう(参考「「酒を飲む」と「他者を貶める」は、奴隷の快楽」)。むろん飲酒行為そのものが経済力を失わせる側面も当然ながらあります。さらに酒を飲むと人恋しくなり、かまってちゃんになるという側面もまたあるでしょう。とまあ、ここまでは私のような者が言うまでもなく常識の範囲ですね。
もう一つ重要と思われるのは、経済力がなくなると考え方が独善的になるということです。私の周りでも、正義中毒の人はわりにビンボです。そしてその独善的な考え方が、フリーランスなら仕事を失わせる、すなわち経済力を失わせる特急券となります。
さらに、ここにも酒さんというところの者が関係してきまして、独善的な考え方は飲酒(習慣)がもたらすケースも多いのです。いつも書いていて恐縮ですが。
酒さんは、まるで意思を持っているかのように、お前は特別なんやでだからお前は飲んでもいいんやで、と常に囁きかけてきます。そうすると、飲酒以外の局面でもそのような考え方がデフォとなり、独善的になってしまうのです。これはこのブログで主張している数少ない「真実」だと私は勝手に確信しています(参考「正義中毒と飲酒習慣は手に手を取ってやってくる。これには理由がありました」)。
でもって、独善的になると人は離れていき、仕事は上手くいかず経済力もなくなり……、そして孤独孤立は経済力問題でもありますから、ますます孤独になるという、負の連鎖ができあがるわけですね。
過去の自分のことを考えてみても、また今、そのような状況に陥っている人間を見ても、酒とビンボと孤独は見事なまでの負のシナジー効果を発揮します。
なのでともあれ、この連鎖を断ち切ることが重要でしょう。経済問題と孤独孤立問題はすぐに解決できることではないですが、飲酒はすぐにやめることができる。そして断酒によって連鎖の環の一つを断ち切れば、その効果が確実に現われることは経験上明らかであります。
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