酒やめて、1448日。
アサヒビール「スマートドリンキング宣言」の背景にあるものは?
数日前のネット記事に「「飲み過ぎ防止」メーカー宣言 ただしストロングも継続」というものがありました。アサヒビールが昨年の12月に「スマートドリンキング宣言」を出しており、それがあらためて取り上げられたかたちですね。
その背景にはコロナ禍で飲酒スタイルが変わり、それが、これまでになかった類の「飲酒の危険」を顕在化させていることもあるでしょう。とくに9%の高アルコール缶チューハイの、とくに宅飲みの弊害はよく指摘されるところです。このブログでも何度も取り上げてきましたが、やはりストロングゼロは悪目立ちしています(参考「金原ひとみ著「ストロングゼロ」が導く飲酒の世界の劇的変化を、高見の見物しようじゃないか!」)。何しろ「強 ぜろ」というアイドルちゃんもいるようなので(参考「ついに「ストロングゼロ」を名乗るアイドルまで登場! 社会現象になったことがストゼロのウイークポイントか?」)。
では、と思います。アサヒビールが「スマートドリンキング」という言葉を使ったということは、要するに飲酒、とくに過飲酒で酔っ払ってしまうことは「スマート」じゃないのですよ。そんなことは当たり前で、誰が見てもそうなのでしょうけれども、それを酒メーカーがいわば追認したことが、存外に大きいような気がしています。断酒者的に都合よく解釈すれば。
それにしても「スマート」という言葉に「賢い」というニュアンスがあることを習ったのは確か中学生の時でしたが、それまでは完全に「身体的にやせている」という意味で理解していたので、非常に衝撃的というか印象深いものがありました。それが社会のデジタル化の進行とともにことさらに取り上げられるようになり、その言葉の持つ意味に対するコンセンサスが今では出来上がっていますよね。言葉にある特定のニュアンスが付与されたわけですが、それは、スマート=「デジタル化などで無駄を省くのが賢い」といったところでしょうか。
で、バブル崩壊からこっち、スマートじゃないものをいわゆる「旧弊」として排除することを社会は行ってきたわけですよ。今、NHK改革が話題になっていますけれども、たぶんNHKという存在はスマートの対極にあるものとして認識されているように見えます。少なくとも私は、そのように認識しています。そして酒も同じですよね。悪い意味でのレガシーのアイコンです(参考「酒、それ自体もまた「レガシー」のアイコンであることを、勝手に認定させていただきました」)。
社会の「清浄化」はいいことなのかそうじゃないのか
そうした社会全体のスマート化を指して、行き過ぎた清浄化と指摘するムキもありますけれども、その是非はともかく、おそらく若い人はそれを望んでいます。
なぜならば、スマートの対極にあるレガシー勢力(たとえばNHK)が自分たちをいわば食い物にしていることがネットで白日のもとにさらされているからです(大げさ)。
酒のことを言えば、もちろん酒はNHKと違って嗜好品だし飲みたい人は飲めば良いといった類のものです。それにNHKと違って勝手に押し付けて勝手に金をむしり取っていく存在ではない……のですけれども、アル中にとっては勝手に金をむしり取っていく存在そのものです(苦笑)。
ともあれ、これまで酒にまとわりついていたいろんなことがもうスマートではないと、先に記したように、こともあろうに敵軍、つまり酒メーカーによっても追認されたかたちになった。断酒者にとってはかなりの追い風です。断酒をしようという人にとっても。
少し前に「人類が有史以来の飲酒習慣に決別する「元年」になるのか!?(期待を込めて)」という記事を書かせていただきましたが、うーん、なんだか、時代が動き始めたことを感じますねー。
少なくとも、敵あるいはライバルと思われた酒メーカーもなんらかのかたちでポスト飲酒を考えるようになっています。くしくも今日、1月21日は「ライバルと手を握る日」だそうです(笑)。