酒やめて、1474日。
承認要求、この厄介なるもの
最近はコロナでできませんけれども、以前はよくファミレスで、いわゆるノマドワークってのをやっていました。ドリンクバーがあるところだと随時コーヒーが飲め、ときには甘いココアなども飲めるので、脳のご機嫌を取りながら仕事をするのにちょうどいいのです。家で大福などを食べながらやるよりも太らないだろうと勝手に判断していました。そしてファミレスだと、スタバやマックと違って他人の会話がよく耳に入ってくるのですね。
ユーミンがデニーズで若い女の子の会話に耳をそば立て、それを曲作りのヒントにしていたなんていう、都市伝説なのか真実なのかわからない話があります(若い人は知らないだろうなあ)。もちろん私がやっていたのはそんないいものじゃないですけれども、ただ、なんとなく会話が耳に入ってくるのは事実です。
で、カップルの会話とかを聞いていると、やたら男が自慢話をしているケースも結構あります。もう承認欲求を満たされたくて仕方がないという感じで、こちらがやるせなくなるほどです。女性のほうも、ふんふんと聞いているのだから大変だよなあと思いますよ。まあ、それが恋人同士なのでしょう。夫婦になるとまた違うのですが。て、本当に余計なお世話ですね。どうもすみません。
でも、ですね、たとえば銀座のおねえちゃんなんかは、もう承認欲求充足のプロと言っていいと思いますよ。私もたまにお付き合いで行ってましたけれども、ほとほと感心してしまいます。で、その対価として、高い収入を得ているのではないでしょうか。よく知りませんけれども。
つまり、他人の承認要求を満たしてあげることはお金になるのですよ。それをただでやってくれと要求してくる連中は、マジ社会悪と言っていいと思います。よくいる「俺を尊敬しろ」ジジイとかそうですよね。
それだけ、承認欲求というのは厄介な感情だということです。もちろん子どもの頃からきちっと親や先生が承認してあげていれば、それは自己肯定感に育ち、人生を切り開いていく力になります。逆に言えば、成長過程で必要とする充足がなかった場合、俺を尊敬しろジジイ、あるいはファミレス自慢野郎に成長(?)するのかもしれません。
また、このような無駄な承認要求は、SNS上でも揶揄の対象になったりします。「ラウンジなう」アピールなどがその典型なのかもしれないですけど、こういうこともまた知らずしらずのうちに自分の人格を毀損し、評判を落としたりしますよね。これまた余計なお世話ながら。
酒やめるだけで、自分が満たされる!?
ただ、自分の承認要求と向き合い、他者に迷惑をかけないのはもちろん、自分が不当に評価されないようにすることは、社会人としてのマナーの範疇を超えて、人生術と言ってもいいのではないでしょうか(大げさ?)。
そして、そのために一番良いのは酒をやめることです(笑)。とまあ、いつもながらの断酒者ご都合理論になってしまうのですが(すみません)、酒をやめると、本当に不思議なことに承認欲求がなくなるのですよ。一つにはいつも書いていますが、酒をやめている自分というところの者を、もう存分に自分で認めてあげられるので、これで充足することができます。他者に認めてもらう必要なんかないのです。
そして、もう一つ、実はこれも目新しい見解でもないのですが、酒をやめると、他人は他人、自分は自分というような思いが確固としたものになり……て、そんな立派なものでもないのですが、とにかく考え方が、いい意味でも悪い意味でもマイペースになるのですね。だから、少なくとも、他人と比べて自分はどうだから、とか、子どもが自分の言うことを聞かないから、といった理由で満たされない気分になることは、まったくなくなります。
結局のところ承認欲求が生まれるのは、満たされないからですよね。で、満たされないというのは、他者との関係性において、という部分も大きいのですよ。そうしたところ、酒やめると、本当に「自分は自分」になるので、少なくとも「他者との関係性において満たされない」ことが起因の承認要求(ややこしくてすみません!)からは自由になれます。
断酒が人間を自由にするというのは、この点からも証明されたのであります!