酒やめて、1430日。
飲酒習慣と疫病との関係は?
今からかれこれ30年以上前の新春、居酒屋評論家(その当時はグラフィックデザイナー)の太田和彦さんが、「一年をどう、飲むか」というグループ対談を雑誌でやっていて、たいそうおもしろかったと記憶しています。
テーマはその当時の日本酒の動向および月ごとの代表的な酒と肴の組み合わせについてでした。ちょうど酒税法が改訂になったばかりで、等級廃止がどのように酒の世界を変えるかが世間的にも(というか飲酒者の間で)注目を集めていました――今ではもう忘れかけられていますが、昔は日本酒には特級酒、一級酒、二級酒とあったのです。
もちろんその頃私は、酒好きなら人後に落ちないといった状況でしたので、そうだ俺も後悔しないようにしっかりこの1年飲み倒さなければ、という身勝手な決意をしていました。そこから考えると、酒飲んでいたことを深く後悔している今は、まさに思えば遠くに来たものですよ。
では今年1年、酒を取り囲む環境はどうなるか。そうしたことを新春にあたって、断酒者としての身勝手さを交えつつ考えてみるのも一興かと存じます。おっちゃん、あんたは酒飲んでいても酒やめても、どっちに転んでも身勝手やなあと言われれば、そうですすみませんと答えるしかないのですが(汗)。
さて、やはりコロナの影響で、飲み方のスタイルというのは一変しましたよね。その中で酒の地位そのものも、宅飲みアル中の増加とそれを後押しするストロングゼロ(!)といった問題を内包しつつ、低下しつつあるのではないかと思います。
それは、飲酒と疫病という人類史上の一大テーマにも結びついていくものです(そうなのか?)。
たとえば歯周病とコロナの関係は指摘されているところです。これに罹患しているとコロナリスクが増大するということです。ついでに言えば認知症リスクが高まるとも言われてますね。怖い怖い。
で、飲酒と歯周病ということを考えてみますと、大量飲酒者は私もそうでしたけれども飲んで酔っ払って寝落ちするケースが非常に多いわけですよ(威張ることじゃないですが)。こんなことが口内環境に良いわけがありません。歯周病になる確率が一般の人に比べてぐーんと高くなるのは自明でしょう。よくアル中の歯がないおっさんというのが、一つの象徴としてカリカチュアライズされたりしてますけれども、それは科学的(?)理由があることです。
また以前にも書きましたけれども、大量飲酒していると肝機能腎機能をはじめとした内臓機能が低下しますし、糖尿病や高血圧、高脂血症といった既往症を誘発するので、コロナに限らず感染症罹患リスクもその分増大するということですよね。
ここで自分のことを言わせていただければ、高脂血症以外の問題点は今現在抱えてないのでその辺はわりに安心しています。逆に言えば飲酒時代は身体上の問題点だらけであり、これでコロナの世界を渡り歩くのは冬の海に裸で入って行くようなものだったと思います。あるいは人喰いバクテリアがうじゃうじゃしている夏の海の浅瀬部分に二日酔い&皮膚に擦り傷で入っていくみたいなもんですね(参考「「感染症の時代」にあって、酒による肝機能低下は致命的。ますます酒飲んでいる場合じゃなくなってきた」)。
コロナ以降も感染症は次から次へとやってくる!?
もちろん飲酒習慣がなくても感染リスクは当然あるのでしょうけれども、ただそれで感染したなら仕方ないという、いい意味での諦観のようなものはあります。俺はやるだけのことはやったんだ後は運命次第だというふうに悔いることなく生きていける点が実は大きいのではないのかなあとは思います(参考「酒やめて「わが人生に一片の悔いなし」を実感できた!」)。
いずれにせよ、今回のコロナもそうですし、今後感染症というものは人類に対して次から次へと襲いかかってくるでしょう。これだけグローバル化が進んでしまえばそれはもう仕方がないことです。そうしたときにできるだけ感染症に強い身体をつくっておくという観点からも、酒離れというものは進んでいくというふうに、断酒者として身勝手ながら推測しておきます。
もしかしたら人類は、コロナに代表される未知の感染症というものを通じて、有史以来の飲酒習慣に決別しつつあるのではないか、そのプロローグ元年になってほしいと年の初めに強く思う次第です。
そういえば10年ほど前に世界的ベストセローになったジャレド・ダイヤモンド著『銃・病原菌・鉄』という本がありましたが、ジャレド先生にはぜひ『酒・感染症・脳』といったタイトルの著作で考察を行ってほしいものです。いいやいやいや、それくらいすごい文化人類学的転換点を迎えているのかもしれませんよー、今は。期待を込めて。