人類は「狩猟→農耕」以来の歴史的転換点を迎えています。もちろん酒との付き合い方においても。

酒やめて、2030日。

集団生活と飲酒は、農耕とともに始まった!?

今、出張中で新幹線に乗ったりもしますが、車窓を眺めると日本の晩夏というか初秋が広がっています。稲の穂が色付き、もう刈り取りを始めている田んぼもあります。

あらためて感じるのですが、日本の平地は宅地とか各種施設を除けば、ほとんど田んぼと言っていいほどですよね。弥生時代に農耕がはじまり、そして奈良平安鎌倉と時代を重ね開拓してきた「成果」なのでしょう。今現在、開拓できるところはすべて開拓し尽くしたという感じです。どうやってこんなところに田んぼをつくったのだろうというところもありますしね。

でもって歴史の教科書でも習うことですけれども、このような農耕を始めることによって、人類は集団生活を始めたわけですよね。同時に感染症の歴史も始まったというふうにコロナ以来、言われたりもします。

それまでの狩猟生活とは違って集団を形成して暮らし、そこから、いわゆるムラやクニが生まれ、さらに集団作業によって効率化し余剰農作物ができると貧富の差が生じたといいます。

酒を飲んでいると支配されやすい!?

ここでその集団と酒ということに着目すれば、酒は集団生活のつながりを維持するための機能を果たしたのでしょう。集団の結束の証としての祭事におけるお神酒の役割もあったでしょうし、今と同じくコミュニケーションの円滑化もあったでしょうし、あるいは人間が人間を支配するために使われたのではないかとも思います。

飲ませて支配する、ということですよね。たとえば現代でも、私の知人で、ある会社から知恵を貸してほしいと言われたのでアイデアを出したけど一杯飲ませてもらっただけだよ、みたいなことを嘆いている人がいます。ま、これは他愛ない例ですが、もっとえぐいことも人類の集団化以来行われてきたと思われ、そして「飲ませる」ということは、案外に大きな力を持っていたのかもしれません。

人間を従わせるという点について、米をはじめとした収穫物で払うという方法もあるけれども、酒で酔わせてそこで何かの約束をするみたいなことのほうが有効なケースもあったし、飲ませて持ち上げて承認要求を満たした上で従わせる方法もあったと思います。

農耕生活とともに貧富の差が生まれ、支配者、被支配者といった関係も同時に生じたけれども、支配者にとっては、酒というものは何かと都合が良い存在だったんでしょう。

でもってこういう関係って、集団をつくる目的が農耕からいわゆる企業活動になってからも変わらなかったと思います。産業革命を経て、産業構造が変化しても、集団ベースで仕事をするというのが人類の歴史そのものだったわけですよね。それとともに酒もあり、良くも悪くもいろんな役割を果たしてきた、と。

そのような人類の「集団活動」ですが、いよいよ変わろうとしています。つまり今は、狩猟生活→農耕生活の転換にも匹敵する一大転換期、です。

コロナをきっかけとして、いやそれ以前からのICTの普及で、人類は集団を維持する必要がなくなっていますよ。今は個人個人が、オンラインを通じて繋がったり、いや繋がらなくても仕事が遂行できるようになっている。集団で行う「効率化」をICTが取って代わっている。

と、こうしたことはよく指摘されていて、私が今さら言うことでもないのですけれども、そのリアルなつながりがなくなるなかで、酒は今、どんどん地位低下していて、飲まない人、そして断酒者は、人類の進化、新しい時代への適応ということを考えても、一歩、先を行っていると考えて良いと思います。なんて、これまた当たり前のことを今さら、と思われる向きもあるかもしれませんが、言いたいことはちょっと違うのです。

たとえば犬は、飼い主が外出から帰ったとき狂喜乱舞しますわな。いわゆる嬉ション祭り状態になります。これって飼い主を慕っている……のはもちろんでしょうけど、要は「誰かと一緒にいたい」が本能に組み込まれているからですよね。集団で生きることを前提とした生き物なわけです。

人類も農耕生活を始めて以来、そのように本能レベルに集団活動が組み込まれてきた。が、いよいよそこのところを脱しようとしている。

そうした局面において、常に集団とともにあり、支配者にとって都合のいい存在だった酒とのつながりを俯瞰でとらえることは全人類の必須事項なのでは、ということを言いたいのでありました。

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