大谷選手と酒さんはどちらも「俺すげえ」を与えてくれる存在だけれども、その方向性がまったく違うのではないかと。

酒やめて、2342日

proud

「大谷選手すげえ→俺すげえ」でもよかろうもん

いやいやいや、大谷選手の快進撃が止まりません。これを書いている7月3日の時点で、投手としては被打率.180で、打者としてはホームラン31本とか。まさに時空を超えた神の領域ですな。

でもって、大谷選手が神化するとまたぞろ出てくるのが、「大谷すげえ日本人プレイヤーすげえ日本人すげえ俺すげえ」と「それは違う。大谷がすげえからといってお前がすげえわけじゃないからねー」のコンボです。これは様式美になっておりまして、遊び半分なのでしょうけれども、たまにコメンテーターなどで大谷選手が凄いからといって日本人が凄いわけじゃないみたいなことを言う人がいて、しらけてしまいます。

でもねー。我々日本人は、朝日新聞や野党から日本人はダメだ日本社会はダメだとずーっと言われ続けてきて、我々世代などは教員からも言われてましたからねー。そうした事情なので、「大谷すげえ日本人プレイヤーすげえ日本人すげえ俺すげえ」くらい言わせてもらってもよかろうもん、てな思いは確かにあります。日本人は誇りを持ってもええでと強く思わせてくれていた安倍晋三さんが亡き今、大谷選手だけが寄る辺(?)ではあります。

「大谷すげえ日本人プレイヤーすげえ日本人すげえ俺すげえ」には、一面の真実もあると思われます。なぜなら大谷選手も「俺」も日本的な教育、つまり部活動で甲子園はじめ全国大会を目指すとか、そういうシステムのなかで育ってきているわけですから、たとえばベンチをきれいに保つみたいな精神性には共通部分があり、その点で言えば「俺すげえ」でもいいような気もしますわ。

酒さんの人格魔改造は飲酒以外の部分にも及ぶ

さて、この「俺すげえ」を与えてくれるもう一つの存在に、ご存じ、酒さんがあります。これには、酒を飲んでドーパミンが出て「俺すげえ」になるという短絡的なものもありますが、「俺は酒と適正に付き合える→俺すげえ」の人もいます。

最近、Twitter断酒部で話題になっていたのは「再飲酒に際して」です。再飲酒してしばらくは、普通に飲めるやんと思う。そこで「俺すげえ」になる。もしかして俺って特別な選ばれた人間なんじゃないか、と思ったりする、と。

それはまさしく酒さんの、もっと飲ませるための生存戦略であることはいつも書かせていただいております。「お前だけは特別だお前だけは凡百のアル中どもと違って選ばれた人間だだから私(=酒)ともこの先ずっと仲良くしていける」というわけです。

しかし当然のように、自分だけ特別なんてことはない。こうした自己正当化バイアスを上手く利用する点は心憎いばかり悪質です。

そしてこの酒さんの戦略につかまってしまうと、酒との付き合い以外の部分で「俺すげえ」になるのです。これは、私のようなプロの元アル中にして、性格の悪いプロの飲酒erウォッチャーにはすぐわかります。つまり「飲酒をコントロールできる俺すげえ」の人間は、たとえば仕事のことでも「俺の能力すげえ」を頼みもしないのに匂わせてくるんです。

とまあ、酒との付き合い以外の部分でも、酒による人格魔改造の影響が出てしまうのが、酒さんの怖ろしいところであるといういつもの結論になるのですが。

まあしかし、仕事の部分での「俺すげえ」はマジうっとおしいですよ。しかも我々の世代になると加齢による人格魔改造も加わりますから嫌になります。そんなに語りたければ本でも出せば、と言いたいです。

それはともかく大谷さんに話を戻せば、まさに大谷さんがそうであるように、「能ある鷹は爪隠す」のほうが、日本社会はもとより西欧社会でも上手くいくケースが多い。なのに、酒で人格魔改造されるとそれができなくなってしまう。怖い怖い。

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