酒やめて、2794日
なぜ大谷選手にカタルシスを感じるかというと……
ちょっと前のプレジデントオンラインに「ひたすら同じメニューを食べ続ける…大谷翔平がアメリカに渡ってから続けているストイックすぎる食生活【2024上半期BEST5】」という記事が掲載されていました。タイトルにあるように上半期掲載記事の中で人気があったものの再掲載だそうです。
その中に、大谷選手の食生活について以下のような一節がありました。
基本的には同じものを同じ量だけ食べて、メニューも変えません。「その方がいろんなことがわかりやすい」し、「味は二の次」だと語っています。
(引用前掲記事)
これには感慨深いものがありますよ。断酒erとしても一人の日本人としても。
というのは、我々はやっぱりなんというかこれまで食いものに興味を持ちすぎでしたよね。漫画『美味しんぼ』で山岡士郎が言っていたように「たかが食べ物」なのに、です。
ただし、ご存じのように「たかが食べ物」のわりには山岡士郎は食や酒に関して異常なほどのこだわりと圧倒的な情報を持っていて、それを武器に世の中のグルメ(死語?)な部分に対して問題提議していました。
『美味しんぼ』は、原作者である雁屋哲氏の左翼プロパガンダがウザいだの科学的に見て大間違いがあるだのとなにかと揶揄の対象にもなったりもしてましたが、絶大なコンテンツ力を持っていたのは誰にも否定できない事実でしょう。キャラも魅力的で、とくに富井副部長は、飲酒erを見事にカリカチュアライズしており、実に趣深いものがありました。
『美味しんぼ』は、前述のようにグルメブームに一石投じるために食に対する情報量の多さや造詣の深さを用いていた側面があると思いますが、大谷翔平選手の場合は、ストレートに美食とは対極の位置にいるというのが驚きというか発見でもあります。
ちなみに、先日亡くなられた評論家の福田和也氏も食文化について、雁屋氏とはまた別スタンスの造詣を有していたようでしたが、大谷選手の「味は二の次」に接したとき、どのように論じたか興味あるところです。
「大谷選手チーム」に入りたいもんだ!
さて、大谷選手はもちろん、食に対してこだわりを持っているのですが、そのこだわりとは記事にもあるように自分の身体にとってどうかということであり、まさしく味は副次的なものなのでしょう。
いや、しかし、この記事を読んで、なぜ大谷選手にカタルシスを覚えるのかという疑問(?)が氷解したように感じましたよ。自分の持っているポテンシャルを最大限に引き出すことに、食も含めたすべてがあって、そに生き方が身体全体から発散されているからなのですね。と、少なくとも私はそう感じました。
そして思うに、むろん大谷選手とはレベルこそ違え、一つの目的のために、それをファーストプライオリティとしてすべての行動をそこに向かって収斂させていくといった生き方が、おそらく一般人にも求められている。それは、サバイバル要件だったりもします。だから余計に、大谷選手の生き方が共感を呼ぶのでしょう。
酒を飲んで美食を楽しむといったことが、自分の人生の目的とバッティングするのであれば、人生の目的を取った方が良いということですよね。今、そういうことを意識している人とそうでない人に分化している。そうした中、できれば大谷選手チームに入りたいものだと切望しますし、断酒erは入団テストへの参加資格くらいはあるのかなあと思ったりもします。
ともあれ、酒をやめると、美食というものにまったく興味がなくなるということは、以前も書かせていただいております(参考「その食に対する執着は、酒によって引き出されていたものだったんやああああああ!」)。マリアージュガーなどと言っていた自分がこざかしく思えてきたりもします。
むろん、美味しいものがあるから酒を飲んでもいいという免罪符的な思考もあったと思います。そうした「文化」は人類が長らく共有してきたもので否定されるものではありませんが、酒やめて「美味しいもの」というこだわりというか執着から抜けられたのは、一つ、人生をラクにしてくれたとは思います。食べ物へのこだわりも人生を縛る一つの要素なのかもしれません。山岡さんの「たかが食い物」や大谷選手の「味は二の次」もわかるというものです。
そこからまた一歩進んで、プロテインとチキン胸肉とブロッコリーだけという食生活に移行していきたいなと思っております。このメニューなどは筋トレ本などでも提案されているもので、飲酒時代からすれば夢もまた夢、1万光年も彼方にあるようなメニューであり、それだけに憧れに近いものを抱いていたのですが、その実践に一歩近づけてることも、酒やめて自分が変わったことに対する満足だったりもしています。「計画」だけでこんなこと言うのもナンですが(汗)。
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