年取ってから、アルコール依存を克服した人もいるもんだ。

酒やめて、2446日

淡々とした「酒やめた」もある!?

ここのところ、「老いと飲酒」みたいなテーマばかりで恐縮です。父の介護に関わっているとどうしてもそういうことを考えてしまい、「実例」に出くわす機会も多々あるので。

「実例」というのは、父の昔の友人と連絡を取ったり、行方を調べたりすることも多くなっているからです。で、そういう方々を飲酒という基準で見ると、まあいろいろですね。物故者も多く、そうしたことと酒との因果関係もよくわからず、このブログ的にはつまらないのですが(こらこら)。

ただそうした中で、ずっとアルコール依存状態で人とも関わってなかったけれども、酒をやめてから昔の友人と連絡を取るようになったという人がいます。今はまったく飲んでいないそうです。だからといって「やめました( ー`дー´)キリッ」という感じでもなく極めて淡々としています。

私自身は一度電話でお話しさせていただいただけですが、断酒会に参加したとか、アルコール外来に行ったというわけでもないようです。繰り返しますが、「一念発起」という感じではないのです(詳細を訊くわけにもいかんので、あくまでも「感じ」なのですが)。

ただ、なんとなくわかるような気もします。以下は私の推測あるいは妄想の類かもしれませんが、その「わかる」について記してみたいと思います。

これまでの人生に固執させるのも酒さんの戦略!?

私もそうですが、ずーっと酒を伴に、酒のない人生なんて考えられないというふうにして生きてきたのです(威張ることじゃない)。

そして私の場合、酒によるいわゆる底付き体験もきっかけですが、なんというか、今までの自分が馬鹿馬鹿しくなる。そういうことがあったようにも思うのですね。

それは「今思えば」であり、酒やめたときはむろん一大決心でしたし、やめなきゃこのまま詰んでしまうぞという悲壮にして確実な思いもあったし、あるいは今の社会状況と自分の状況をすり合わせた上での科学的な判断(大げさ)もあったのですが、本当に「今思えば」、今までの自分の人生というか生き方に「飽きた」だったような。上手く伝えられませんが(汗)。

で、父の友人でアル中だったけど今は酒をやめたという人もそういうことなんじゃないのかなあ、と勝手に考えたりします。

繰り返しますが、突然、何か馬鹿馬鹿しくなる。それは、酒を飲んでいるのが馬鹿馬鹿しいというよりも、酒とともにあった人生が馬鹿馬鹿しくなるといった方がいいかもしれません。

逆に言えば、自分の生き方みたいなものに執着し、妙な誇りみたいなものを持ってしまうと、それまでの習慣、すなわち酒を飲むことをやめられないようにも思うのですよ。

年老いても、今まで生きてきたことに執着せずに、だからといってジジババの場合、先があるわけじゃないから「未来のために酒やめよう」でもないけれども、自分というものからいったん離れる、自分を空しくするといったことはいくつになっても必要なのかなあ、と考えたりもします。

むろん、今まで書いてきたことは「断酒ブログ的に言えば」な部分があるのですが、「今まで」に執着させ、「今まで」を正当化させ、さらに飲ませようとするのもまた酒さんの戦略ではないかと。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする