「酒は貴族の飲み物」を自覚しないと、どんどん没落しちゃうよという話。

酒やめて、2258日。

もうホントに、アル中になる自由がないのだ!

一昨日、「格差の世襲(=階級固定化)に果たす酒さんの役割の大きさを考えると、結構、空恐ろしくなるという話」を書かせていただきました。親の飲酒習慣と子世代の階級について、経験というものを一つの補助線に用いて考察したのですが(エラソーすまぬ)、親自身についても、やはり飲酒習慣は階級の没落を促すという当たり前の事実があります。

私などはすでに没落して、あるいは最初からか、とにかく底のほうにいるのですが、これ以上沈まないために「酒は貴族の飲み物」と自分の中で規定しております。

このブログでも散々言及してきたことですが、世の中にはアル中になる自由がある人とない人がいます(参考「僕らにはもう「アル中になる自由」がない」)。ひいては飲んでも安泰な人と飲んでる場合じゃない人がいるということですよね。だから今の時代、「俺は肝臓の数値も正常だから( ー`дー´)キリッ」は飲んでいい理由になりません。

新自由主義ベースの格差社会になる前であれば、誰もがある程度、安定した雇用を得ていて、年金を支える若い世代もそこそこいたので、頭脳が定年まで保てば、後はアル中になろうがどうなろうが自由だったというふうにも言えるでしょう。こういうこともいつも書いていて恐縮ですが。

ところが、繰り返しますが今はそうではない。極端なハナシ、会社の同僚と隣合わせで飲んでいたとしても、その隣にいる人間は都内に300坪の土地持ちだったりして、要するに上流(≒貴族)階級であり、だから「貴族の飲み物」を飲める立場かもしれず、そいつが飲んでいるからといって、自分が飲んでいい理由にならないわけですよ。これが、「みんな飲むから俺も飲む」だった新自由主義以前の時代(≒高度成長期からバブルまで)とは大きな違いでありますよ。

ともあれ今は、自分の将来のことなどを考え、飲むか飲まないか自分で決めなきゃならないのですね。

そうしたなか以前も書きましたが、多重債務を抱える人間が億単位の資産を持っている人間に向かって「お前はアル中だ( ー`дー´)キリッ」と指摘するみたいな笑えない話も出てくるわけで(参考「ジジイ世代にも親ガチャはあり、そしてジジイ世代特有の飲酒格差も存在しているのだった!」)。

飲まないことを前提になんとか見えて来る未来

でもって自分のことについて言えば、私のような下層民も飲まないでいれば何とか老後の生活設計も立つかなと考えているので飲まないのであり、それは断酒以来、確信に変わっています。

要は、ですね。しつこいようですけれども、そして余計なお世話ながら、新自由主義以降の世の中では、飲む自由がある人間と飲んでる場合じゃない人間がいるということです。もうそれは、一昨日書いたことの伝でいけば「人種が違う」と言ってもいいかもしれません。

酒は「階級」という概念(大げさ)を用いても、下へ下へと足を引っ張っていくものです。飲んでる場合じゃない人間が飲んでいた場合、ますます没落していくということをあらためて心に任じ、「酒は貴族の飲み物」であることを確認しておきたいと思います。

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