「仕事も遊びも目一杯」は可能かもしれないけれども、そこに酒という夾雑物が入ると「修羅」になりがちだよね、という話。

酒やめて、2044日。

まさに「お前は一体何を相手に戦っているのだ」状態でした

先日、久々に娘と会いまして、彼女の生き方などを見ていると、ちょうど香川照之さん事件があったこともあり、まあ香川照之さん的だなあとも思いました。よく言えば仕事も遊びも目一杯ということです。悪く言えば、以前にも書かせていただきましたが「修羅」な人生です。

若いうちは、みんなそうなのかもしれません……ということは、今はないですよね。

確かに私たちの世代が若い頃はそうでした。人のせいにしちゃいかんですが、メディアなどによる同調圧力もあったと思います。

同調圧力による、世間一般が思い描くような幸せの姿、たとえば子どもを私立中にやり、そのために有名進学塾に通わせ、ラルフローレンを着せ、犬を飼い、その犬を連れてRV車でキャンプに行きといったような「ねばならない」のハードルが高く、これを成し遂げるためには、仕事も当然がんばらなければならない。が、ここに酒という、いわば夾雑物が入り、大量飲酒習慣が定着すると完璧に修羅なる人生になります(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。

つまりハードモードですな。幸せになるためにやっているつもりなのに、どんどん自分や家族を追い込んでしまう。繰り返しますが、飲酒習慣があるとそれに拍車がかかります。

今の私は「修羅」から「解脱」したつもりでいますが、そんな今の私からそうした頃の私を見ると、ちょっと前にネット上で流行った、まったくもって「お前は一体何を相手に戦ってるのだ」状態でしたよ。

やっぱり人類は「分化」していますね!

酒飲みながら「仕事も遊びも目一杯」で、先に書いたような世俗的な幸せ――我々世代でいえば、トレンディドラマ(死語)で描かれる世界を追いかけるなんて、どだい無理筋なんですよ。

上手くやってるつもりでも、齟齬がでてきてしまい、それがいつか破綻する。香川さんでさえそうなんですから、いわんや私のような市井の凡人においてをや、というものです。

もちろん俺は上手くやってるよ、という人もいるかもしれません。ただ、自分は上手くやっているつもりで誰にも迷惑かけてなくても、「あの人は酒飲んでるからね」という色眼鏡で見られ、それが重なると、あまりいい結果にはならない。ま、余計なお世話ながら。

そしてそういうことに、今の若い人は気づいているわけですよ。いや、気づいている人とそうでない人に分化している。気づいている人は、若いうちから「解脱」的人生を歩み始めている。それが酒離れにつながっているのでしょう。

むろん、どっちがいい悪いでもないのですが、ただ時代に適合しているのは「解脱」のほうでしょう。どう考えても。同調圧力でもたらされた幸せのかたちにこだわるのではなく、自分の人生のプライオリティを自分で考え、その上で酒飲むか飲まないか決める、ということですよね。おっさんも若いうちからそうすればよかったす(泣)。

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