酒飲みながら仕事もばんばんこなして稼ぎたいなんて、まったく考えが甘いわけで。やっと気づいた愚か者がいますよ。

酒やめて、1932日。

mess

よくも飲みながらやっていたもんだわ!

今週はずっと博多に出張で来ておりまして、このブログは出張中に書いています。

この時期に博多に長期出張するのはレギュラーの仕事なので年中行事ちゃ年中行事なのですが、酒やめる前までは当然「博多の夜」ですから毎晩出撃して酔っ払ってホテルに戻るのが定例でした。行ってみたいところが山ほどあったのです。博多の酒飲みシーンは「角打ち」があったりして、文化的にも特別ですからね。博多に彼女がいるアル中仲間から、角打ちリストをPDFで送ってもらったりして、ときにはホテルに一度戻った後、電車に乗って出かけたりしていた大馬鹿者でした。

今は酒飲まないのでホテルに帰ってからも作業もできますし次の準備もできます。つまり、若干ながらも仕事が進められます。それでようやく納期内に仕事がアップするということにあいなります。

逆に言えば、酒飲んでいた時代はそうした「内製」「進行」をいっさいせず、いわゆるアフターファイブ(死語?)は飲んだくれていたのですよ。それで、よくできていたよなあと思います。

いや、実際はできてなくて、いろいろ迷惑をかけたりもしていて綱渡りでした。そして、そのように綱渡りでも「できた!」が、アル中の沼から抜け出せなくしていたといったことは一昨日も書いた通りです。

まったく思い上がっていましたよ!

さて、基本的に私のようなフリーランスの場合、仕事量が多ければ稼げるという構図です。作業量勝負です。つまりそれは作業時間勝負でもあります。でも酒を飲んでいると、その時間を大量に消費してしまうので上手くいかないのは当然といえば当然です。

ただ、酒飲んでいた時代は子育てもしていたし分不相応と思われる学校にも通わせ、あるいは家も所有しクルマも大型のRVに乗り、要は世間並みの、あるいはメディアなどの同調圧力によってもたらされた(て、他人のせいにしちゃいかんが)幸せのようなものを追求していたので、当然ながらお金もかかり、無理だろうがなんだろうが仕事もたくさん受け、だからあっちにぶつかりこっちにぶつかりの人生でした。

でもって今思うのは、飲酒習慣があってなおかつ忙しく働いて稼ごうなんていうのは、そもそも発想自体に無理があるというか虫のいい話だったんだなあ、ということです。そこで犠牲にしたものももう山ほどあり、その犠牲の上に何とか成り立っていたわけで、もちろんそれは破滅とも板子一枚の世界だったのでしょう。

繰り返しますが飲みながら人生上手くやっていこうなんてのは、もちろん人にもよるでしょうけれども、思い上がり以外の何物でもないと思います。少なくとも私の場合は、自分の能力とも照らしてみて。あーもっと早く気づけばよかったといういつもの結論なのですが(苦笑)。

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