酒やめて、2510日
大谷選手と真逆の価値観を押し付けてくる人間もいる
大谷翔平選手の「呑みに行かない」がドジャース移籍に関連して話題になっています。もともとは2018年の『週刊新潮』の記事だそうですが、栗山英樹監督(当時)のコメントとして、ですね。そのなかに「呑んでて何が楽しいんですか?」というものもあります。あくまでも栗山監督が「という感じなんです」と語ったもので、実際に大谷選手が言ったわけではないようですが(キャラに合わん)。
「という感じ」ながら、なかなか象徴的なコメントではあります。なぜなら、そのまったく逆を主張する人間が世の中にはいるからです。つまり「酒飲まずして何の人生ぞ」という感じ(笑)です。
私の周りにもいますよ。以前も書きましたが、私の友人に対して「〇〇(私のこと)みたいになったらおしまいだから、我々は一緒に楽しく飲みましょう」てなことを言っている輩が。どうして誰かを誘うにあたって、関係ない第三者であるところの私を引き合いに出すのか謎ですが。それはともかく、これなんぞは「酒飲まずして何の人生ぞ」の代表です。
さて、このような価値観は、考えてみれば老子(紀元前571~471年?)様以降、人類をある意味ずっと支配してきたわけです。そして酒飲みは、それを飲む理由にしてきて、もちろん私もそうでした。むろん他人のことをどうこう言うことはなかったですけど(笑)。
飲酒という行為と今の社会状況がかみ合ってないなかで
そして今は、私のような者でも飲み会に類する会合に出たりしますが、その手のことを言ってくる人間はいませんね。そもそも飲まない人間も多いし、飲む人間も私が断酒しているというと、へーすごいねと感心するあるいは感心したふりはしますが(僻み)、その後は自分が楽しむことに夢中で、人が飲もうが飲むまいが関係ないといった至極当然の態度です。
若い人ならこうした傾向はもっと強いでしょう。そもそも、飲まない若者の価値観として、飲酒はコスパが悪い、酒飲んでいたら他に何もできなくなるのがもったいないということがあります。こちらは「酒飲まずして何の人生ぞ」と真逆の価値観です。
つまり今は、老子様的価値観から、まったく新しい価値観にコペ転しようとしている時代と言えます。これまたいつも書いていることで恐縮ですが。
飲酒と時代状況社会状況が明らかにマッチしなくなっていて、それに伴い相対的に酒の地位も低下しているのでしょう。
そうした中で「酒飲まずして何の人生ぞ」てな価値観を人に押し付けている人は、言ってみれば旧弊です。老子様の時代に生きているということです。余計なお世話ながら。
余計なお世話ではあるけれども、周りからすれば、それはその人間を判断する材料になります。なぜならそのような価値観で生きているということは、仕事など飲酒以外の局面でも「旧弊」が必ず出てくるからです。
そう考えると、酒をやめることは、人間に対する物差しを手に入れるということでもありますね(性格悪い)。
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