酒やめて、1243日。
我々は何に頭を支配されてきたのか
「自分軸」という言葉をよく聞くようになりました。大学生や高校生が小論文を書く際、自分の見解を呈示しなさい、つまり「自分軸で書け」などと指導されているようです。ただどんな世代、たとえば我々ジジイ世代であろうが、とにかく自分で判断し決断し生きていかなければいけない、そういう時代になってしまったことを象徴する言葉でもあります。
思えば我々は、ずいぶんと洗脳されてきた、自分軸が持てないようにされてきたと思いますよ。そしてずいぶん騙されてきました。ま、他者のせいにしちゃいかんですが(笑)。それは何によってかと問われれば、社会構造そのものにだったりメディアにだったりします。
社会構造そのものに騙されたということで言えば、このブログでも何度も取り上げてきましたが、例の桜木先生@ドラゴン桜のこれですよね(参考「大酒飲んでいると、情報を集めよう、情報を生かそうという気力が湧かず、結果的に人生大損してしまうよ!」)。
携帯電話、給与システム、年金、税金、保険、みんな頭のいいやつがわざとわかりにくくして、ロクに調べもしないやつから多く取ろうという仕組みにしている。つまり、お前らみたいに頭を使わずに面倒くさがっていると、一生、だまされて高い金、払わされるんだ。
まさにこの名言は、逆説的に自分軸の必要性を訴えています。
メディアに、というのはもう筋金入りで、子どもの頃から知らず知らずのうちに洗脳されてきました。
で、そのメディアの欺瞞のようなものがコロナ禍によって一気に露出し、もうまったく信じられなくなってしまったのですね。メディアの言ってることは矛盾だらけやがな、ということが誰の目にも明らかになり、これまでやってきたことも嘘ばっかやったんだな、と思ってしまいました。
メディアは特定の反日勢力の意向を受けているというふうにも言われます。中国とか韓国とかですよね。そういう側面も、あるいはあるのでしょう。
でも私が思うに、彼らはストーリーを紡がなければならないので、どうしてもステレオタイプのドラマツルギーに頼らざるを得ないのです。たとえば、古くからある「番長は心優しき熱血漢」みたいなやつです。そうしないと、とっちらかっちゃうのですね。これはメディアが受け手を馬鹿にしてることと表裏一体を成すものなのかも知れませんけれども。
情報の取捨選択について一大転換期に?
ウェブメディアであれば、ストーリーを紡ぐ必要がないので、ステレオタイプになることなく、「自分軸」で言いたいことが言えるわけですよ。そしてその判断を受け手に委ねることができる。このブログもそうですけど(笑)。
ですから受け手としては、ある特定の情報に騙されることはあるかもしれません。西村博之氏の「嘘は嘘と見抜けるやつでなければ」というやつです。でも、ある特定のストーリーに騙されることはありません。
で、オールドメディアとウェブメディアのこうした特性を「自分軸」という言葉を用いて考えると、もう今や一大転換点になっていると思うのですね。
なんにせよ自分で考えることを必要性は、かつてなく大きな時代になっています。そして、これもいつもの話で恐縮ですが、自分で考えることを放棄させる最大の「敵」がいるのですね。そう、酒です(笑)。
その酒に依存するのはもちろん怖いです。ただ、酒を飲んでいると、自分で判断しなくていい情報や社会システムに依存してしまうがちになる。考えるのを放棄してしまう。自分軸が失われてしまう。実はそれが一番怖いんじゃないかなあと思う次第であります。