酒やめて、3095日
飲酒時代の悔恨に苦しめられる
断酒erなら誰もが経験あると思いますが、断酒してしばらくの間は身体的に苦しいし、それ以上に精神的に苦しいです。精神的に苦しいとは、むろん酒が飲みたい気持ちと戦うことですが、それが一段落すると今度は悔恨に苦しめられます。
つまり、酒を飲んでいた時代、周囲の人にいかに迷惑をかけたかに思い至り、それに、苛まれるのですね。それまでいかに好き勝手に生きていたかということですが、その過去の自分に苦しめられるのです。
そして私について言えば、悔恨の対象は主に元妻に対して、です。
ただし元妻の場合、その存在が再飲酒したくなる要因にもなっていますので、なかなか人間関係というのは難しいところではあります。
(私事ながら)どういうことかというと、元妻は必要に応じて(?)いろいろ言ってくるわけですよ。そうすると、やはりカチンと来てしまい酒飲みたくなります(苦笑)。
再飲酒の要因としてHALTが挙げられますが、それにプラスして元妻の愛称の頭文字も加えたらどうか、などと、友人はお気楽なことを言ってくれます。
とまあ、そのようなアンビバレントな状況と気持ちではあるのですが、ただ彼女に対する思いが過去の愚かな自分に対する思いとシンクロして、今の自分を苦しめていることは事実です。
こっちは断酒という「大事業」を行っているのだから
さて今、季節は夏であり、私などはセミリタイヤ状態で、子どもも自立したし、人生の責任はほぼほぼ果たしたと思っているので、勝手ながら、経済的に許す範囲で遊ぼうと思っております。
で、後顧の憂いなく(?)遊ぶためには、悔恨を感じ、それについて反省している場合じゃないのです。非常に身勝手ながら。
そもそも「反省」というのは、その先の人生を有意義にするために行うものであり、私のようなジジイの場合、反省したところで「その先」に生かせるとは思えず、だとすれば反省するだけ無駄というものであります。身勝手な理屈だということは承知しておりますが。
もう一つ反省しないことに決めた大きな理由がありまして、そう、それは酒を飲んでいないということですねー。これはもう大事業なんですよ。
飲酒は人類の歴史とともにあった楽しみの一つでしょうし、その楽しみを享受していないということは、ドジャースの山本由伸投手がスプリッターを使わずにピッチングするのと同じようなものであり、かなりたいしたものだと思っております。
なので、その点を守れば、もう反省しなくていいじゃないかと考え、それを根拠に反省しないということを決めたのですよ。
そして元妻について言及させていただくと、彼女は私との関係において常々、「私が悪いところは一つもない( ー`дー´)キリッ」と言い切っておりました。
そのような唯我独尊的な考え方に私はとてもついていけなかったのですが、ただ、彼女はいわゆる優等生タイプで(国立大卒だし)、教師や親から反省を促されたことなどほとんどなく、また自分でも正々堂々と生きてきたという思いがあるので、そうした驚くべき発言をするに及んでいたのでしょう。
翻って私は、反省を促されてばかりいた人生を送って来ており、だからより反省指向になっていたのかもしれません。そこにアル中という一大反省要因が加わったわけです。
しかし、いまや酒やめたという大事業を継続中なので、元妻の唯我独尊的な顰に倣ってもいいのではないか。というわけで、今後は反省しない人生を送っていこう、もう反省するのはやめようと、決意した次第でございます。勝手ながら(四度目)。
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