孤独・孤立問題に飲酒を絡めてみると、恐ろしい事実が浮かび上がってくるわけで。

酒やめて、2822日

人間関係を維持するためにはコストがかかる

一昨日、「「孤独問題」は酒さえやめればおおかた解決するんじゃね、という話」を書かせていただきました。「酒をやめれば、孤独・孤立の要因とされる経済的問題も解消し、精神的にも諦観が持てるので孤独・孤立を感じない」という主張なのですが、もっと深堀りするならば「孤独・孤立」と酒さんの関係にはさらなる闇(?)があると考えますので、以下、記させていただきます。

さて一昨日、「「結婚どころか友達もできない」年収300万円未満の男性を孤独に追い込む”決定的要因”」という記事を引用しました。そこでは、孤立・孤独問題は実は経済問題なのだという提議がされています。かいつまんで言えば、交際費がないから孤独になるという一面もあるということですよね。

そしてこのことに、飲酒も深く関わってくると思われます。つまり酒を飲むということは、お金を使って人間関係を、言い方は悪いけれども「買っている」側面があります。

酒を飲んで人間関係を維持するためにはコストがかかる。たまに飲んでいる程度ならいいけれども、年中飲んで「交際」することに、人生が耐えられなくなってしまう。

いや、このあたりのことは若い人にはなかなか理解しがたいことなのかもしれませんが、齢食って、とくに私のようなフリーランスだと仕事は先すぼみになります。以前も書きましたが、そりゃ、誰だってジジイには仕事を依頼したくないですから。ちょっとでも瑕疵があるとあっという間に切られます。

私にしたところで、とある雑誌にコラムを書かせていただいていたところ、最近仕事の依頼がないのでコーナーがなくなったのかなあと思っていたのですが、先日、その雑誌を立ち読みしたら、同じテーマで他の人が書いていた……こともありました。事前に、こういうわけでお前はもう要らん! みたいな連絡もなく、まさに妖精さんのように去られてしまいました(参考「人類の「妖精化」が進んでいる!? ますますもって酒飲んでる場合じゃありません」)。ま、そういうもんなんですよ。

酒を介した社交は、困窮化すると手詰まりになる

というわけで、どんどん収入は減っていく。にもかかわらず、アル中とまではいかないにしても飲酒習慣があり、それが社交の中心にある場合、収入とは関係なしに「飲んで社交する自分」は当たり前と認識する。そしてそれが、仕事上でも必要だと思ってしまう。

あるいは、酒を飲まないとそうした人間関係がなくなるのが怖くなる(ホントは、なくなったらなくなったで快適なんですけどね)。で、何度も恐縮ですがそこにはコストがかかる。

うーん、持ち前の文章力のなさで上手く説明できないのですが(だから「もう要らん!」になったのか!)、現実の例を挙げてみます。

仕事上で付き合いのある人間に、飲酒習慣はあるけれども経済的に困窮している、という人間がいます。で、私の友人(仕事仲間)がその人間のことを見るに見かねて、若干、資金援助というかカンパしてあげたのですね。

それはいいのですが、その困窮人間が、いやあ、さっきまで飲んでいて帰りが遅くなった、と友人にメールしてきたというのです。

なんというか、カンパしてもらった相手に、「さっきまで飲んでいて」とは、普通の感覚ならなかなか言えないものです。それを素で言わせてしまうところが、飲酒習慣というものの特殊性なのでしょう。

しかしホントに恐ろしいのはその先で、酒で人間関係を維持していると認識していると、一度、困窮すると、その酒を介した社交が集り酒になっていく。本人が集るのではなくて、周りが「困っているようだからいいですよ」となる。が、それが度重なると、その周りもだんだん離れていってしまうでしょう。

ということは、酒を介した社交のコストが嵩む→貧困に陥る→貧困がゆえに、奢ってもらうようになる→それが度重なると奢るほうの人間も離れていく→酒を介した社交が、酒を介したものであるがゆえに崩壊する→孤独・孤立に陥り、経済的にも困窮しているので救いがない、という負のスパイラル(?)が生じてしまいます。

これが孤独・孤立問題に飲酒が絡んだ場合の、いわば真の恐ろしさではないかと考える次第であります。

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