酒やめて、1319日。
一世一代の暇キタコレ???
いやー、暇です。コロナ発生直後に一度仕事が動かなくなり、その後、一応は復活しましたが、ここにきてレギュラーの仕事が一本完全に飛んでしまい、ぽっかり時間が空いております。まあ今回のコロナでは、定収入皆無のフリーランスの人間は、コロナに負けない実力者とコロナの影響をもろにかぶってしまった私のような者と二分されているのかもしれません。
それにしても雑誌などを読むと、わいはコロナ関係なく仕事があってありがたいこってすアピしてるライターとかいますよねー。SNSでやるのならともかく、一般読者に向けて言うことじゃねーだろそれ、とは思いますわ。ムカツクー。
さらに怨みを込めて言いますが、コロナがいわゆるウィルス禍ではなく、小林よしのり先生言うところの「インフォデミック」てやつだとするならば、それを引き起こしたメディアの罪はめちゃ重いと思いますよ。私のような者はともかく、たとえば貴重な大学時代の一年間(あるいはもっと)をないことにされてしまった大学生に対する罪は消えないでしょう。自分の大学時代の一年間がどれだけ大きかったか振り返ってみやがれ、と思います。
まあともあれ暇です。私のような仕事の場合、暇といっても今すぐに経済的に苦境に陥るのではなく、数カ月後に地獄が待っているというパターンですね。ですから、今はまあ暮らせているちゃー暮らせています。というか、今は子どもの学費負担もないですし、住宅ローンもないし、事務所の経費もないので、半年くらいは無収入でも暮らせそうではありますし、持続化給付金の受給要件も満たすことができれば、さらに「持続(≒延命)」できそうではあります。
だからもしかしたら、一世一代の暇キター! なのかもしれません。とまあこんなふうに、端から見れば馬鹿みたいに楽観的になれるのも断酒脳の特性ではあります。これはわりに皆さん、おっしゃいますね。酒やめれば人生に楽観的になれる、と。
飲酒時代だったら、この状況で当然ながら飲んだくれていたでしょう。経済的にもキャバクラとかそういうところに行かない限り、宅飲みだったらまあ飲めるわけですよ。でもこの場合は、当然のことながら将来の不安はあり、それは飲酒脳による悲観的性向でますます増大しますので、それを酒でごまかすというかたちになっていたと容易に想像できます。
「暇だから〇〇でもしようか」は案外重要です!
酒やめた今は、ある意味では非常に有能な暇潰し行為である飲酒という選択肢がありません。そうすると暇だあー何をするか、ということで、本業のほうのブログだとか営業だとか、次の仕事の布石も当然ありますけれども、このブログのメンテナンスだとか、それ以外にもたとえばクローゼットの中の防虫剤を入れ替えるといったそういう細かいこともあります。
要は、暇だ、やることない、酒を飲むという選択肢がない、じゃあ〇〇をやろうかというふうになっているわけです。今、話題の課題発見能力というやつですね(そうなのかw)。そしてその「〇〇」がほんとにどんどんどんどんこなせてしまうんです。これはもう自分史上初と言っていいくらいのすごい経験です。
酒をやめると人生好転する、といいます。これはスピリチュアル的な受け止め方をされることもあるかもしれません。
ただ、少なくとも俺様理論的にはですね、この因果メカニズムは確実にあります。つまり暇という状況のなかで(別に暇じゃなくてもいいんですけど)酒飲む代わりにやる「〇〇」、この積み重ねが、人生を好転させてくれる原動力になるのかと。
多分これは真実でしょう。