酒やめて、1334日。
人生破壊した後も、わいが必要やろと語りかけてくる存在
またまた山口達也事件の話で申し訳ありませんが、あまりにも示唆的だったので、もう一度書かせていただきます。
山口さんの場合、二年前にも酒起因の事件を起こしているわけですよね。それで芸能生命を絶たれたようなかたちになっていました。
で、そのようになった場合、本当にもう酒しかなくなってしまうんですね。酒で失敗→さらなる飲酒というのは、一つの黄金律と言ったら変ですが、そういうパターンは確かにあると思います。酒起因で何か事件を起こし社会的な制裁を受け、仕事などが絶たれた場合、そうしたことを忘れるために、あるいは心の空虚さを埋めるために酒を飲むしかやることがなくなるということですよね。私は芸能人でないのでそんなに大きな制裁(?)を受けたわけではないけれども、でもこれはすごーくよくわかります。
そして山口さんは二年前の事件のとき、「今は飲まないと決めています」と語りました。「今は」がポイントです。今後のことは今後考えます、と言外に含ませていたようにも聞こえました。これもまた、めちゃくちゃよくわかるんですよ。
私も、アルコール性低血糖で病院に担ぎ込まれたあげく先生に説教くらったときに、「酒飲みません(少なくとも今日は)」と性懲りもなく考えていましたからね。ギャグのようですがこれを本気で考えるところがアル中というところのものでしょう。そして恐ろしいことに、それは自分の中では正当な考え方なのですよ。この辺は普通の人には非常に分かりにくいことでしょうし、分かりたいとも思わないでしょうが。
ただ、そうしたアル中脳の特性を無視して単に倫理的な意味合いで、アル中や依存症で失敗をした人を攻撃するという傾向がメディアなどに多分にあり、それはこのブログでも書いてきましたが、抵抗を感じるところではあります。アル中は、脳が俺様理論を構築する病気ですから。
ともあれ、酒で人生を破壊された人は、もうその破壊された人生で酒しか友達がいなくなります。そうした中で酒は、やっぱり俺しかおらんやろと言ってくるのです。
もちろんその辺は他の薬物も同様なのかもしれません。でも、ですねー、当然ながら酒は、チョー簡単に手に入るのが問題ですよね。
「酒は悪くない」の風潮ってどうなのよ
さて、こういう事件が起きると、必ず、酒は悪くない酒に飲まれる人間が悪いというふうなことをトクトクと言う人が出てきます。もちろん、酒メーカーの広告費なしではテレビ放送が成り立たない構造になっているようなので、そういうこともベースにはあるのでしょう。
ただもっと意地悪く考えれば、そういうことを言う芸能人は、「私は酒を飲むけど人に迷惑かけない綺麗な酒飲みですキリッ」というアピールをしているような気がして、そこが結構鼻持ちならない点ではあります。ひがみですかね(笑)。
一方で、繰り返しますが、日本はアル中になるハードルが非常に低いことも事実です。危険薬物が完全に放置されているということもよく指摘される点であります。
要はですね、酒という存在は、まず人生破壊した上でなおもわいが必要やろと語りかけてくるような本質的に悪質な物質であることに加え、その酒を擁護する社会的状況(「酒悪くない、酒に飲まれる人間が悪い」と声高に言うテレビなど)がプラスされ、ますます最凶最悪の存在になるということですよね。
できるだけ早めに、縁を切っておいたほうが良いことは間違いなさそうです。