酒やめて、2724日
マリファナの代わりが酒だった?
一昨日のエントリの中で、自由と飲酒の関係について論じさせて(大げさ)いただきました(参考「思えば酒に口をした瞬間から「社会の奴隷」化が始まっていたのかもしれないね、という話」)。で、もしかするとこのことには日本の特殊性もあるのかなあという気もしていて、だったらなおさら、自由だと叫びつつ酒を飲むことの愚かさが増すと思われます。以下は妄想に過ぎないかもしれないですけど、私のなかでは結構重要なことだと確信していますので記させていただきます。誰にも頼まれてませんけれども。
一昨日ちょっと触れたのは、ヒッピーとマリファナの関係についてです。ヒッピーはマリファナが自由をもたらすものと確信していたというか、ヒッピー文化とマリファナは切っても切れない関係にあったわけですよね。今でも大麻の葉をモチーフにしたさまざまなグッズが売られていて、ヒッピー文化を代表するとされるラブ&ピースのスマイルマークとほとんど同等の扱いを受けています。ちょっと調べてみるとヒッピー全盛期である60年代後半はマリファナ規制が今よりもずっと緩かったので、文化と結びつきやすかったようです。
ただし、こと日本においてはマリファナは一般的ではなく、気軽に浮遊感をもたらしてくれる存在として、酒のプレゼンスが相対的に大きかったというふうに言えるのではないかと思います。だから酒に対して寛容な社会になったという側面もあるでしょう。
「ストロングゼロ=文化」という皮肉
よく知られているように日本人はじめ東洋人は酒に対する耐性を西欧人ほど持っていません。しかし酔って駅のベンチなどで寝ていても大丈夫な(?)日本独自の安全な社会環境がかつてはあり、それに加えて、たとえばサントリーのような酒造会社が上手なパブリシティ戦略を実施していたので「酒は自由をもたらしてくれる」みたいな文化が現出したのかもしれません。
ついでに言えば、サントリーのストロングゼロがもたらした「人生が辛ければ辛いほど美味くなる」というストロングゼロ文学は、今の貧困ジャパンを象徴するものなのでしょう(参考「朗報なのか悲報なのか。あのストロングゼロが生産休止らしいぞ」←このエントリを書いた時点ではそういう噂が流れていた)。やっぱりサントリーは時代と文化をリードする企業です(笑)。
それはともかく、酒が何らかの自由をもたらすという概念は、日本ならではの特殊事情がベースにあり、それが社会全体の共同幻想となって助長されたのではないか、とまあそんなふうに思うわけですよ。
ただし日本人の一部は、もうそろそろその幻想から覚めようとしている。とくに一昨日書いたように、若い人は本能的に気づいているのかもしれません。
それはむろん必要に駆られてということでもあるでしょう。そして「必要に駆られて」では断酒erも当然のように負けてはいません(張り合うことじゃないが)。したがって、長い間日本人が抱いていた幻想から目覚める、断酒erはその先頭を走っていると規定しても良いと勝手に考えております。
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