酒やめて、2660日
YouTube番組は疑似体験させてくれる
先日、テレビ出演している文化人と話す機会がありまして、先生、最近はどうなのですかと伺ったら、今はテレビにはまったく出てないですみたいな話をされ、そもそもテレビを視ないですねそれよりもYouTubeですよ疑似体験させてくれますから、と言っていました。さすがというべきで、やはりそこがテレビとYouTubeの本質的な違いなのでしょう。
むろんYouTube番組は千差万別ですけれども、自分が体験したいこと、体験したくてもできないことを見せてくれる機能が濃厚です。一方テレビは、真実を報道するということから遠く離れて自らのプロパガンダの拡散装置になっています。
報道番組はもちろんバラエティ番組も同じで、悪評あるけれども一向にやめる気配がない笑い声をかぶせる手法にしたところで、それは自らがつくり出した笑いを面白いでしょと自ら拡散する“プロパガンダ”ですよね。
とまあそうしたなかで、テレビ視ないということがちょっと前までだったら意識高い()の象徴として揶揄とともに捉えられていたのに対して、今はもうみんな素で視なくなっている。
今、「テレビ視ない」のは、酒場で声高に演説するおっさんの話なんか聞きたくないというのとちょっと似ています。ましてやNHKの場合、その後に集金が待っていますからね。噴飯ものではあります。
「馬鹿になる」ではもはやすまない!?
そうしたご時世にあって、何かっていうと「テレビで〇〇していた」みたいなことを話題にする人が未だにいますけれども、これについても、こちらの受けとめ方が変わってきている。テレビを視ていると馬鹿になるとはよく昔から言われていたところですが、今は、テレビを話題にすると馬鹿をさらす、というふうになっています。そうしたコンセンサスが出来上がっているわけですよ。
しかしながら、それと非常に親和性が高いのが酒さんでありまして。
酒飲みながらテレビを視るという娯楽は、時間というものの価値が相対的に大きくなっている世の中にあって、その貴重な時間を限りなく略奪してしまう(これは私も身を以て経験しています)。またそれとは別のヤバさ、すなわち先に挙げたような「馬鹿をさらす」というヤバさも現われ始めているような気がするのです。
翻って冒頭の文化人は、いや最近はもっぱら勉強です、勉強はやればやるほど楽しくなると、これまた本質的なことをおっしゃっていましたが、X上のTwitter断酒部(ややこしい)の皆さんのポストなどを見ると、やはり勉強されている方が多く、それはむろんキャリア拡大のためでもあるのでしょうが、レジャー半分、楽しみ半分で取り組んでいるようでもあります。
やっぱり人類は分化していて、そこに酒さんの存在が大きく関わっているという、このブログでいつも主張していることが、またしても証明されたかたちになったと勝手に考える次第であります。
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