酒やめて、2606日
「悲観」がアドバンテージを得ていた時代は終わった!?
ちょっと前ですが「酒やめるとストレスの元凶を除去できるという話」といった話を書かせていただき、このブログにしては珍しくそこそこ反響をいただきました。やっぱり皆さんそうだったんですねー! であります。それに勇気づけられる思いで、私の仮説というか妄想の類かもしれませんが、考えているところを記させていただきます。
それが表題で、断酒erは「進化した人類」という、このブログを貫く身勝手な理屈でありまして、しかし確信でもあります。そしてその点について、一つの切り口で説明させていただきたいのです。
それは「悲観的」「楽観的」というものです。
もともと人類は悲観ベースで生きてきたという説があります。悪いことが起こるんじゃないだろうかという予測のもとに生きるということであり、そうした遺伝子を有する個体が生き延びる確率が高かったからこそ、人類全体のメンタリティーとして悲観的になっているとのことです。これは一理あると思います。
また悲観ベースで生きるのは、酒さんとも相性が良いですよね。酒さんは悲観につけ込んできますし、悲観的な思いを忘れるために人類は酒を飲んできたのです。
有名なこれもありますし。
ただしそういう時代は、もうすでに終わったのではないかというのが私の妄想というか仮説でございます。人類はすでにそこを脱したのではないかと。
生活をルーティン化して「君子危うきに近寄らず」
というのは、ですね、個人の体験に基づいて悲観ベースで生きたとしても、もうもはやそれはリスクマネジメントにはならない。個人の経験などたかだか知れていますし、その想像力も知れています。それをもってしてリスクマネジメントしたつもりでも、そんなことでは対応できないほど予測不能な時代と社会になってしまっている。
じゃあどうすればいいかというと、広く情報を求め(いわゆるオールドメディアに踊らされず)、リスクマネジメントのための仕組みを自分でつくり、その上で楽観ベースで生きていく。仕組みというのは投資や保険も含まれるのでしょうけれども、もっと身近なところで、生活をルーティン化して君子危うきに近づかずにしていくということです。そしてそれがやりやすいのは飲まないことです。
と、このあたりも非常に手前味噌な理屈になっているのかもしれませんが、とにかく飲まずにリスクマネジメントできる生活の仕組みをつくり、その上で楽観的に生きる。これが今の時代に求められる最大のリスクマネジメントであり、断酒erが進化した人類、時代に対応した人類である証拠になるのではと勝手に考えさせていただいておりますが何か?
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