酒やめて、3071日
同窓会が酒レス開催となったのだった
2週間ほど前ですが、毎年恒例のプチ同窓会がありました。今回は、主催者が何を思ったのか、日曜昼間の和風ファミレスを指定してきて、となると、クルマで来た人間もいて、完全に酒抜きでの開催となりました。町内会の老人会ですな。
別に、それでも良くなっているということです。
以前、同世代の人間の飲酒状況について、最初1~2杯だけで、後はお茶にする人間も案外多くて驚いたという話を書かせていただきましたが(参考「余計なお世話ながら、飲酒者の「着地点」を考えてみまして」)、その行き着いた先が「酒レス」なのかもしれません。
で、このブログの取材(?)も兼ねて、飲酒状況についてちょっと訊いてみたりすると、家では飲まないなあという人間がほとんどを占めているのに再び驚いた次第です。外で人と会ったりするときには飲む時もあるけれども……、ということです。今回の場合は、「人と会ったりする時」でも「酒レス」となったわけですね。
これは一つには、年齢的なことがあるでしょう。
要は、人間の自然の摂理として、だんだん飲まなくなる。人間はもともと、酒という存在から、飲酒習慣から、上手く離陸できるようになっていると考えてもいいかもしれません。
せっかく神様が「摂理」を用意してくれたのに
ただし、です。一度、酒に対する「耐性」というものができてしまうと、毎日、飲まずにはいられなくなる。つまり、神が与えてくれた(?)はずの「飲まなくなる」という自然の摂理を享受できなくなる。
むろんこれは、酒さんの戦略でもあります。
いや、もちろん毎日飲んでも、身体的にも社会的にも大丈夫という人はいるでしょうし、それならそれでいいのですが、ただ、それじゃヤバいとなったとき、耐性ができてしまっている人は無理くり酒から離陸する、すなわち断酒するしかなくなってしまうわけです。
ということなので、中年くらいに差し掛かったくらいの年齢で、耐性ができているのかどうか、自分はジジイになったときに上手く離陸できるかどうか、意識する必要があるのかもしれません。
いや、それにしてもしつこいようですが、毎日飲まない、家では飲まない、という人間が多いのにあらためて驚いてしまうのですよ。昔はみんな結構飲んでいたのに、です。そして到底、そんなふうにはなれなかったであろう人間としては、宇宙人を見るような目をしてしまうのであります。
さて、このようなことは我々ハーフリタイヤ世代についてですが、実は若い世代と話すと、こちらも案外、家では飲まない組が多いのです。これなどは酒を飲むことが、社交という目的であり、手段になっていない証拠ですよね。それを無意識に自覚しているのでしょう。
逆に言えば、家で飲む、自分で酒を買って飲むということは、やはり目的ではなく手段になっているケースがほとんどであると考えられ(参考「「酒を購入する」行為の意味が変わってきた!?」)、それに耐性ができているといった身体的条件がからむと、もう詰みたくなければ断酒するしかなくなるわけで、そのあたりが難しいところだと考える次第であります。ただし、酒やめればそうした「難しいこと」も考えなくて済みます。
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