酒やめて、2188日。
そんなことで飲むか飲まないか、決めちゃっていいの?
一昨日、「酒さんの地位は、あと10年でかなり低下するのではないか」ということを提議しました(大げさ)。ちょっと言い足りない部分もあるので、続きというわけでもないのですが、補足&深堀りさせていただきます。
まあ我々ジジイ世代は、多くの人が、自分が飲むか飲まないかを決めるにあたって、たとえば大学のサークルの先輩から勧められただとか、そういうことが発端になっているわけですよ。私もそうでしたし、もっと決定的な事件(?)があり、それについてのエピソード(?)は以前書かせていただいています「参考「毎日飲んでりゃ……」の持つ重大な意味を、40年後に知った愚か者がいますよ」。自分に影響力を持つ人から勧められるとやってしまうということは、酒に限らず人生にありがちですよね(苦笑)。
でも「そんなことで決めてしまっていいんかー!」な時代についに突入したー! ということを一昨日、取り上げたました。飲むか飲まないかは自分で決めなきゃいけない。それが案外、大きな意味を持つのではないか――。
偉そうですみませんが、しくじり先生ぽく「俺の轍を踏むなー!」で言わせていただければ、飲まない方が人生の自由度は大きくなり、それは今後激変する社会の中では結構重要なポイントでしょう。
起業を考えているなら、飲まないほうがいいよ!(余計なお世話ながら)
むろん、立場的に飲んでもいい人もいます。定年まで雇用が保障されている公務員などは、飲酒との親和性がわりに高いと言えるでしょう。また公務員の世界は民間に比べればコンプライアンス意識も低く(やらかしても守ってくれる組合が強いことの裏返しかもしれんが)、その意味では体質的にレガードなので、同じくレガードの酒さんと相性がいいのもしれません。
ただ、これから社会に出るにあたって、起業を考えているみたいな人は、飲まない方がこれは圧倒的に有利だと思います。余計なお世話ながら。よく酒は社交の武器となどと言われますが、対人コミュニケーションの意義はだんだん薄れていますし、かつ、ちょっと前にも書きましたが(参考「「少量の酒なら健康に良い」にはカラクリがあった!」)、論理的数学的思考ができる人が社会の成功者の大部分を占めるようになっており、そういう人たちは酒を飲まない、あるいは機会飲酒者が多いからです。
て、これは断酒者の希望も入ってはいるのですが、酒さんは、人格をエモーショナルにするので、論理的思考とは対極の位置にあることは確かでしょう。
と、仮説含め、断酒者都合のことを書いてしまいましたが、要は飲むか飲まないかは自分で決める時代になっている(何度も言って恐縮ですが)。自分の人生を見通した上で飲んでも大丈夫だと思う人が飲めばいいわけです。ただ、我々世代で周りを見まわすと、飲んでも大丈夫じゃない人(余計なお世話失礼!)ほど飲んでいてエモーショナルになっているところが酒さんの怖ろしいところではあります。自戒自戒。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。