酒やめて、1718日。
トップに立つ者は「分かってなくても」いい!?
岸田新首相が、財務省からプレッシャーをかけられたのでしょうか、金融所得課税を20%から25%にアップすると言い出し、やっぱり反発を食らって慌てて撤回しました(その後、またぞろ高市政調会長が企業預貯金課税を持ち出しているようですが……。あんたは反財務省やろー!)。これについて楽天の三木谷さんなどが、まったく経済が分かっていないと指摘しています。
ちなみに私は三木谷さんの講演を一度聴いて、まったくもって納得してしまった経験があります。ちょうど楽天の英語公用語化が社会を驚かせていた時分でしたが、その理由と実施方法に感服したのです(三木谷さんの『たかが英語!』は名著だと思います)。その後、別件の仕事で楽天に問い合わせしたときも神対応していただき、以来、すっかり楽天ファンで、楽天経済(カード、銀行、証券)をフル利用しているほか、Wifiも現状タダで使わせていただいております。
と、それはともかく「(岸田さんは)経済が分かってない」問題です。もちろん、岸田さん自身は分かっていなくてもいいと思います。専門バカにならず全体を見て適切な判断をするのがトップの役割でしょうし、そこで重要になるのが他者の意見の受容ですよね。その点、岸田さんは「私は人の話をよく聞く」と強調しています。
これは三国志でいえば劉備玄徳タイプですよね。戦略や政治は諸葛孔明という天才の意見に従い、いい塩梅でやっておりました。そうした「受容」の姿勢が一般大衆には「大人(たいじん)」に映り、今に至るまで主役を張っています。ただ、孔明は無私の心で劉備に仕えていた(と描かれている)からいいけれども、参謀役がイデオロギーに類するものを持ってしまうとトップも判断を誤ることが、今回のコロナ禍における医師会禍が証明したりしています(私のような一般大衆にはそう映りました)。
と、話があっちこっちいって大変申し訳ないのですが、要は、聞く耳を持ち適切な判断をすること、他者の意見を自分の中で咀嚼し自分の意見として再構築することは、トップの必要条件であり、現在は、未来のエリートを育てる学校現場でも声高に言われています。
主観的な仕事ぶりは、時代にまったく合ってませんよ
さて、私が社会人になったばかりの頃、広告業界を席巻していたものに「感性」てのがありました。ところが後で詳しくふれますが、今や「感性?プゲラ」であり、まったくお呼びじゃないのですよ。にも関わらず、その自分の感性とやらをいまだに信奉していて、とにかくそこに引っかからない企画などについて「そんなのはだめだあ」とするジジイが、ほら、皆さんの周りにも一人や二人いるのではないでしょうか。
私の周りにもいて、「〇〇さんが『そんなのはだめだあ』と言っていた企画だけど、案外受けちゃったんですよねー(笑)」みたいな話も出てきます。まったくおっさんの「感性」と社会意識の乖離にはあきれてしまいます。
とまあ、ここまで書き連ねてきたようなことは私などがわざわざ声を大にしなくても常識の範囲なのかもしれませんが、言いたいのはここから先です。
「そんなのはだめだあ」おっさんだって、たぶんこのご時世、それじゃあいかんと心のどこかで思っているはずです。でもそれができないのです。理由はご本人の性格やこれまで生きてきた歴史もあるでしょうけど、これは自戒を込めて、そして経験上言うのですが、飲酒習慣があるから、という側面もあると考えます。えっ、なぜ、と思われる方もいるでしょうし、断酒者ご都合も入っているけれども、ただ飲酒習慣は、本当に考え方を主観的にします。わがままになるというのとはちょっと違って、毎晩飲んでいる自分を正当化したがるので、それが仕事には出てしまうということです。これについては、一昨日も少し触れました(参考「酒やめて、ようやく人生逆張りの法則から抜け出したような気がしますわ(汗)」)。
昭和平成前期の御代であれば、主観によって仕事が動いていて、それが「感性」「こだわり」といった美しい言葉でオブラートされていました。一部の人の「こだわりの感性」が世の中をリードしていた。私が社会人になったばかりの頃は、そういう面が強くあったんです。ところがご存じの通り今はまったく違います。理由はいろいろあるでしょうけれども、とにかくエビデンスとデータとポートフォリオの時代です。そうしたときに、繰り返しますが「そんなのはだめだあ」という主観はお呼びじゃないし、先程のエピソードでもわかるように、社会人としての能力も疑われてしまいます。
で、これまた繰り返しになりますが、頭でわかっていても、飲酒習慣がありそれを正当化することが常態になっていると、どうしてもそうなってしまうのですよ。こういうことからも、飲酒習慣と今の社会の親和性がかなり低くなっていることが伺えたりします。