いやまったく、酒は人を傲慢にしますよ。中国人のごとく。

酒やめて、3260日

中国人がエラソーなのは、儒教の徒としての必然なのだった

新年祝賀の儀に参列する際の、蓮舫議員と高市総理の態度の違いがネット上で話題になりました(下写真)。

警備の人を無視するかのように傲然と歩く蓮舫議員と、お辞儀をしながらにこやかに挨拶する高市総理の対比が鮮やか、というものです(動画もアップしておきます)。

蓮舫は二重国籍が問題となり、いまは日本国籍のようですが、ただこのような態度は、もう明らかに中国人、すなわち儒教の徒のものでしょう。人間性とか礼儀マナーの問題ではなく。

ご存じの通り、儒教思想は、人間に序列をつけることが基本です(たとえば親は子より絶対的に上=孝)。なので、蓮舫がそうした中国人の基本メンタリティの持ち主であるならば、お辞儀をしないというのは、当たり前を通り越してむしろ推奨されるべきことです。儒教の世界では、社会的序列が自分より下と目される人に対してそうした態度を取るのは、教義といっていいものになっています。それで、自分の序列が上ということを確認するのですね。ですから繰り返しますが、これは「推奨されるべき態度」です。

中国人観光客が日本に来てホテルの部屋を徹底的に汚く使い、ときには、ここでは書けないようなおぞましいことをしていく問題についても、これと同じ文脈で捉えることができると思います。ホテルスタッフに後始末をさせるのは、自分の偉さを確認するために「すべきこと」なのです。相手が中華思想のなかで「格下」である日本人となればなおさらです。中国人が、日本人や韓国人、ベトナム人に対してよく使うセリフ「誰が主人なのか思いしらせてやる」を地で行っているわけですね。

一方で日本人はどうかというと、まあ当然ですがそんなことはしませんよね。たとえば公共のトイレなどでもきれいに使います。これは公共心もありますが、ある種のアニミズムの存在も大きいでしょう。すなわち「トイレにも神様がいる」という考え方です。

翻って儒教は、いわゆる「怪力乱神を語らず」の世界ですから、そのようなアニミズムが入る隙がないのです(だから中国人は、土着的信仰を野蛮人のものだと馬鹿にする)。

先ほどの「儒教の序列好き」もこれで説明できます。

神を信じる世界では、神様の前では誰もが平等という考え方が発達します。だからキリスト教社会でも、平等の意識が浸透しています。日本人の場合、明治以降は天皇陛下の前の平等ということがあったのでしょう。

一方、中国人には、平等はあり得ず、人間には序列があるという考えを信奉する宗教的(というか教義的)土壌があるということを先ほどが申し上げている次第です。ですから、中国人の日本のホテルなどにおける乱行は、公共心の問題ではなく民族として信じるところの問題なのです。オールドメディアは「日本人も昔は海外で恥をさらしていた。今、マナー欠如に見える中国人だっていずれは改善される」と主張しますが、まるで的外れです。だって彼らは「信じて」やっているわけですから。

なので日本人としては、もうそういう民族なんだと思って付き合う必要があると思われます。あるいは付き合わないということですよね。

「フラットな視点」こそがイノベーションを起こせる!?

さて、実は日本人にも、そのような儒教的な考え方を持っている人たちがいまして、ここからが言いたいところなのですが、それは私の考えでは、いわゆる中国共産思想に毒された世代です。毛沢東語録を小脇に抱えてキャンパスを闊歩するのがイケていた世代ですね。

メディア(人)もそうです。メディアの世界は徹底的な序列によって動いていて、普段「平等ダー、差別をなくせー」と声高に叫んでいるのと真逆に、おそらくすべての下請け構造の中でも最悪に類するものを構築しています。私なども、そうしたメディア人からよく「〇〇風情ガー」と言われますし。

とまあ、そうした個人的経験込みで言えば、団塊世代+メディア業界人は世の中で中国人に一番近い考え方を有していて、だからこそ中国シンパの一面もあるのでしょう。

では、そのような考え方、すなわち序列大好きという考え方は、世界的競争のなかでどうかといえば、科学技術に関しては「有利」と言えるかもしれません。なにしろ中国にとって日本などは中国に奉仕すべき存在ですから(まさに蓮舫がその考えを具現化してくれたわけですが)、技術提供など当たり前ととらえ、徹底的に引き出せるからです。そしてもともとアタマはいい民族ですから、今や、それをたたき台に科学技術分野で日本の遥か先を行ってしまっていることはご存じの通りです。一党独裁のもと人材の適材適所が図れる点も、理系秀才の大多数が(科学者技術者ではなく)医者を目指すようになってしまった日本や韓国との大きな違いでしょう。

ただ一方、文系分野の仕事について、あるいは理系においてもイノベーションの種子になるものを開発することにおいては、『ドラゴン桜』の桜木先生がおっしゃるように「フラットな視点」「平等、公平、公正」というものが必要不可欠で、そこには、(神の前では)人間に序列などないことを皮膚感覚として身につけている必要があります。

とまあ、断酒ブログの分際で正月早々そんな話を長々としたかというと、そのような「フラットな視点」「平等、公平、公正」は酒を飲まないと身に付きやすい……と、断酒ブログ的にそういうことにしたいからですが、これは逆から考えたほうがいいですね。

このブログでもさんざん取り上げてきましたが、酒を飲む習慣があると、アル中、アル依的な飲み方でなくても、考え方が傲慢になります。酒を飲む自分を常に肯定したいからです。そこへもってきて酒さんが、「お前は特別な人間やで」「だから飲む資格があるんやで、〇〇風情と違って」と囁きかけてきます。そして、それを自分で確認するために、ことさらに態度を傲慢にするというパターンになりがちです。実力のない人(酒によって能力がスポイルされた人)ほど、そのような序列にこだわる、自分の立場を誇示したがるようになる(経験論)。それを冷ややかに見守ることも、断酒者の仕事ではないかと年の初めに決意する次第なのであります(傲慢?)。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする