禁煙者と断酒者の態度の違いに、酒の本質のようなものが現われている気がします。

酒やめて、1309日。

禁煙者がチョー嫌煙になるのはなぜか

よく指摘されるところですが、禁煙した人は徹底的な嫌煙になります。私の場合は、禁煙したのは20年以上前になりますが、それ以降も安酒場、つまり喫煙禁煙が分離してない飲み屋に足しげく通っていましたので、それほど気になることはなかったです。気にしてはいられなかったというのが実情ですね。パチンコ好きの嫌煙者が、パチンコと嫌煙を天秤にかけてパチンコを選ぶのと同じです。ただし、通学路通園路で歩きタバコする老害は許せないですけど。

さて、禁煙者が猛烈な嫌煙になるのは、タバコは他者に煙や臭いを感じさせるものだから、ということが当然あるでしょう。さらになにしろ火なので危険もあります。子どもがいたりすると超ナーバスになるところです。

そういやアル中大先輩にして徹底的な嫌煙者である雁屋哲さんも、漫画の中で子どもをやけどさせた喫煙者に対して相当怒ってました。

禁煙者が禁煙を広めたがるのはそうした理由もあり、それが喫煙者にとってみれば、一段上から道徳的なことを言われているような気がしてしまうところでもあるのでしょう。この辺は元アル中としてもすごくよくわかります。

一方で断酒者は飲酒者に断酒を薦めるかというとそんなことはありません。でも断酒が広まればいいなとは思っています。断酒ブログの運営者はみんなそうでしょう(たぶん)。

なぜならば酒のない世界がデフォになる……とまではいかなくても、酒が今のタバコのような嫌われ者的存在になってしまえば、自分自身、断酒継続が非常にしやすいからです(身勝手)。そして断酒の「古参」としてデカい顔ができます(さらに身勝手)。あくまで私の場合ですけど。

ですから、酒の地位低下を常に願っているという感じですね。そしてそれはだんだん起こりつつあります。そのムーヴメントのさらなる拡大に、超微力ながらでも手を貸したいという思いは確かにあります。

ただし繰り返しますが、現在、飲酒してる人に対して、酒やめたらといったことを道徳ベースで言おうとか、そういう指向はまったくないのです。その辺が禁煙者と断酒者の違いなのかもしれません。

道徳的なことを言いたがるのは(自称)適正飲酒者なのだ!

元アル中からすれば、「酒やめたら」を道徳的に言ってくるのは、断酒している人ではありません。私の飲酒時代、酒をやめた人も周りに何人かいましたけれども、そういう人は「まあ死にたくないからさあ」とまったく淡々としたものでした。なかには「飲むとケツが痛くて地獄なんだよ」という人もいましたけど。

で、そういう人たちは、酒やめればやめたでなんかラクだよ、みたいなことは言ってましたけど(それをバッカじゃねーのこいつと思いながら聞いていた私は超絶愚か者でした)、だからといって、断酒ええぞーお前もやめたら、みたいなことはまったく言われませんでしたねー(こいつに言っても無駄だと思っていたのかもしれませんけど)。

で、私のひがみかもしれんが、道徳的な雰囲気で、お前さあ酒やめたほうがいいよとか言ってきていたのは「俺は適正な飲酒をしているキリッ」な人です。

今思えば、そういう人は怖かったのでしょうね、自分が酒の罠にとらわれてしまうのが。もしかしたら自分もアル中……とまではならなくても、酒が欠かせない生活になるのを恐れていたのではないかと思います。そして、自分より程度の低い飲酒者を批判(?)することによって、心の平静を保っていたのではないかと。

ですからまったくもって要らんお世話なのですが、人の飲酒になにか言いたくなったら、自分も酒にとらわれてしまう、その入り口にいるという一つの目安になるのかもしれません。

そしてそんなふうにそっと近づいてくるのが、酒の怖いところであり、タバコと違うところではないでしょうか。

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